わからないところまで戻る事をためらってはならない

話が少し逸れたようだ。

さて今一度、足し算・引き算・掛け算の適用場面を復習、おそらくは小学校2年ぐらいまで戻ってやり直すしかない。同じことが中学生にもあり、なんだかやたらに計算間違いが多いな、と思って親・保護者が点検すると、実は中学1年生の「正負の数」やら「文字式の計算」があやふやだったりすることもある。

もしこの「地道な作業」を怠った児童・生徒の身に何が起きるか。問題はここからだ。さっきの不良少年・少女の例は極端すぎて現実味がない。普通はどうなるだろうか。

当たり前だが、算数・数学は完全に不得意科目になっている。でも学校で算数・数学の授業がなくなることはないし、定期的に小テストはある。時には授業中に当てられることもある。

そんなときにアッケラカンと「分かりませ~ん」と言える能天気な児童・生徒なら、「馬鹿者、もう一度勉強し直せ!」と叱ることもできるだろうし、案外その時から「参りました!」となって、やり直し勉強を始めるかもしれない。

しかし子供の世界は残酷

「分かりません」と答えた時、それがものすごく簡単な問題であるなら、クラス全体が笑いの渦に巻き込まれることも十分にある。あるいは級友同士の教え合いの時に「お前、こんなこともわからないのか、アホだな~」とキツク指摘されることもあるだろう。

こういう時、私はこの歌を必ず思い出す。

題名 僕は唱歌が下手でした

1番
僕は唱歌が下手でした
通信簿の乙一つ
いまいましさに人知れず
お稽古すると母さんが
やさしく教えてくれました

2番
兄弟みんな下手でした
僕も弟も妹も
唱歌の時間は泣きながら
歌えばみんな先生も
笑って「やめ」といひました。

いわゆる音痴は、基本的に、本人には責任のない特性であるから、もしその下手さ具合に、仮にクラス全員や先生までもが笑ったとしても、その後で、先生も「いや、すまん、すまん」とか、生徒たちの方も「笑ってゴメン」で、済む。次からはその子の番になった時に、口を押えて必死で笑わない努力をするだろう。自分だってそんなに上手というわけではないだろうから。

自分の答えに自信がないから

しかし普通の能力を持っている普通の児童が、自分の努力不足で解ける問題が基本からわかっていないし、やり直すのはめんどうだと思い、同時に友達には自分の努力不足を知られたくない、と言う時、どうするだろう。

今までの経験から言うと、恐らくこのような人は、解答や「私はこう思う」という発言を自分からはしなくなる。そしてクラスの中で「信用できる」誰かの発言や解答を確認してから解答を書いたり、意見を言うようになる。間違ったら恥ずかしいのと、実績のない自分に自信が持てないからだ。

これが続いて習慣になってしまったとする。
本当にわからない時は仕方がないが、「合っていそうだけど自信がない」時などに「合っているかどうかわからない時は、教えてもらってから始める」になる。

そして日頃は「他人の解答を確かめてから自分は解こう」になって、ある意味狡くなり、自分を成長させる機会を逸す。

悪化すると「わかっていてもテストで書かない」になり、テスト後になって「わかっていたけど、自信がなかったので書かなかった」という「言い訳」をするようになる。

これは完全な悪循環だ。

まだ続く。