難しくなるのは小学校3年ぐらいからなので、意外に早い

小学生3年の終わりぐらいから4年生にかけて、足し算をしてから掛け算をしたり、引き算をしてから割り算をしたり、というように、複数の計算方法を混ぜた文章問題や計算問題が多くなり、中々複雑なモノもあって、どう説明したらいいのか、お父さんやお母さんでも困る問題レベルも出てくる。

そしてその時に「ひとつの式でまとめて書く」という分野も導入されるので解く方、つまり児童にとっては要求されることが増える。

もしその子が算数があまり得意でないとか、もう不得意になっていて見るのも嫌だ、となっている場合、一度ここで「崩壊現象」を起こすだろう。

算数が不得意≒数学が苦手の人は、必ず出会う現象だ。

これを乗り越えるのに、妙手はない。

むしろ神からの警告と素直に受け取り、打開策を打ち出さねばならない。いつかはわかるようになるだろうとか、自分から勉強するようになるだろう、とここで放っておき、根拠のない期待をする親・保護者はその子が中学生になった時に、手痛いしっぺ返しを喰らう。

私はそういう例をたくさん見てきた。
極端な話、6年生になっても割り算の適用ができない、とか、分数の計算ができない中学1年生だとかだ。こういう場合は「自ら学び、自ら問題解決の道を考える」新学力観に影響された、小学校担任教師の力量不足も加担していることがある。

何度も言う。
勉強しない子供は首根っこをつかまえて、ワイワイけし掛けて、あるいはおだてまくりでもして、無理矢理、あるは騙し騙しでも、小さいころから一定時間勉強させなければ、自分を甘やかしたまま大きくなる。そして、中学生になった時に、行き詰まり、それの尻拭いをするのは結局は親・保護者である。その覚悟があるなら、いくらでも甘やかしてよい。

もう理解できん……文系大学生が数学を諦めた時期Top5! 1位高2「数Bむずすぎ」

上の記事の中で、あきらめた時期の堂々2位に「中学1年」が入っていることに注目してもらいたい。まあ360人に訊いただけだから、信憑性は薄いかもしれない。だが興味深いことに変わりはない。

教育は機会を、特に時期・時間を逃してはならない

私の祖父は
「貧乏を質に入れても教育の機会を逃すな」
と言ったと、よく母が笑って言っているが、最近ホントにそうだな、と悟るようになった。 英語の格言にもある。

Strike while the iron is hot. 鉄は熱いうちに打て。

Make hay while the sun shines.陽のあるうちに草を干せ。

お金があるのなら、その時が来るまでじっと貯めておいて、来たら資本投下をする。もしお金が少ないのなら、日頃から手間をかけるしかない。

祖父は病弱で、55才で亡くなったというが、アホな私はそれを少し超えて、やっとわかってきたからかもしれない。 つまり「子供にかかわる合計時間は、どの親・保護者でも同じ」だと、思えてきたからだ。小さい時に手間をかけておくか、大きくなってから手間がかかるか、の差でしかない。子供の時に放置しておいて、中学やら高校で勉強に苦労して塾に無理に通わせる、あるいは極端な例だが、残念ながら不良少年・少女になってしまい、事件を起こし、警察や裁判所に行かねばならないことになるかもしれない。また交通費も裁判費用も負担しなければならないし、裁判で敗訴になれば賠償金も課される。

こうなってしまうと、大切な仕事に集中できないのは明らかだし、一昔前ならともかく、現代では、家庭という一番管理しなければならない領域で「はずして」いる人を、誰が信用するだろうか。仮に信用しても、限定的だろう。なんと言っても世間体が悪いし、恥ずかしい事この上ない。

完全な大損だ。

まだ続く。