「取調室でかつ丼」と同じ「定番の相談」
「うちの子は忘れ物が多くていくら注意しても治らないんです。どうしたらいいですか」と相談されることが非常に多い。
しかし私はなぜこんなに「忘れ物」にこだわるのだろう。答えは割合に簡単で
「物体を忘れて来る者が、実体のない知識を整理管理できるわけがない」と考えているからだ。
ではどうしたら忘れ物をしないようにする・あるいは減らせるのだろうか?
私の答えは一つしかない。「忘れ物をするたび、その直後に、直接的な苦痛を与える」
無駄吠え癖がある犬を治すには、無駄吠えしたときに高い音がするものを鳴らす。犬は耳が良すぎることがアダになって、漫画ではないけど「キーン」となるらしい。
すると「吠える」→「キーンとなって耳が痛い」→「それは嫌だ」→「吠えるのやめよう」となり、「吠えると痛い」がつながって、吠えなくなるそうだ。人間も動物だから似たようなことをすればよい。交通違反をした人が罰金を払う「苦痛」を与えられるのと同じだ。
どこかの小説か随筆で読んだけど、武士の息子が、忘れ物をしたり、間違ったりするたびに、自分の膝に爪楊枝(か何か尖ったもの)を突き刺しすシーンがあった。だから彼の袴には穴がたくさん開いていたという。どんな時でも、人は間違いをすることには変わりがない。自分に間違いをさせないために、彼が編み出した工夫だろう。礼儀にうるさく堅苦しい時代でも、間違いをする人はいた、という証左でもある。
今の時代ではどうしたらいいか?
では今の緩~い時代にはどうすれば苦痛を与えることができるか。まさか爪楊枝で自分の膝を突き刺すわけにはいかない。そこで以下は本人の承諾を取ってからでないと効果がでないが、ご家庭で工夫すればいいだろう。ただし「その場ですぐに」でないとだめだ。
たとえば
①10円でも1円でも、その場で罰金を払う。親がいなければ、何か箱に入れるとかする。
②忘れ物や間違えたことを付箋に書いて、カレンダーに貼る。
③腕立て伏せを何回する。
うちの塾ではあまりにも忘れ物がひどい人は、保護者と話すか、本人と話して、納得してから「家に取りに帰る」ことにしている。ただし、軽微な忘れ物の場合は、叱るか注意するぐらいで済ます。そこまで神経質ではないつもりだ。あくまで大切なものを忘れてくるとか、あまりに頻繁な時だけだ。でも交通事故とかが怖いから、発動をためらうことも多いジレンマがある。しかし確実に効く。
「それはうちの子には無理です」と言う親は、将来苦労されるお覚悟はご立派です、と内心で思うだけで、無理強いはしない。義理は果たしたから。そしてたいてい早期に退塾していく。それでいいと思う。
忘れ物をなくすのは、教育の問題ではない。躾の問題だ。身を美しくと書いて「躾」だから、言い得て妙だ。躾をし終わってからの教育だ。犬にトイレトレーニングなどの躾をしてから「お手」とか「お回り」と教えるのとレベルは違っても、動物という同じ範疇に所属する人間も、同じではないか?と考えられる。
「子供は聖なる野蛮人」という言葉は忘れてはならない
ただしこの言葉は『警告』ではなく、元々は別の意味で使われたので、注意が必要でもある。
忘れ物が多いのは、教育上も有害だ。大切なプリント、コンパスなどの持ち物、伝言、なんでも忘れたら、勉強がなりたたない。そもそも勉強とか、テストで得点すること自体が「覚えていること」が必要で「手順を覚えている」からスムーズに動けるのだ。
「忘れて」いては、得点もヘッタクレも何もない。丸暗記主義を当方は強く否定するが、重要なポイントを暗記するという意味では暗記・記憶は絶対に必要だと考えている。「暗記は不要」というのは、極めておおざっぱ意見であるから、従ってはならない。
だから「物体や情報をなどの『忘れ物』をしないように小さいころから躾ける」が一番。はずすと、後で大きく狂いが生じてくる。小学校高学年までに矯正することが肝心だ。でも思春期にもなって忘れ物が多くて、その癖が治らない人は、もう癖ではなく、自分の一部になっている、と考えた方が良い。つまり習慣となっている。「僕は/私は忘れ物をする人です。それを個性として認めてください」と、開き直っているに等しい。少し可哀想な気がする。しっかり諭す必要があるだろう。
というわけで、個性になる欠点もあることは認めるが、認められない欠点もある、ということを自覚するには様々な意味での「苦痛」を与えるしかない。学校では躾などしてくれないし、しているを期待するのは無駄である。向こうも忙しいからだ。