教科書採用の傍用問題集はコピーを必ず取る!

教科書は配布されたところだろう。この後、学校に提出する問題集=教科書採用の傍用問題集が配られる。これを解くにあたっても、精神的成長は求められる。ただし最初に保護者の心構えと準備が必要だ。

具体的には、あらかじめ学校が用意した問題集をまっさらな時に、つまり1学期か各学期の初めに手渡された時に、全部コピーを取ってしまうことだ。英語と数学、そして国語など全部である。

もし教科書販売を手掛けているお店を知っているのなら、そこに新しく1冊を注文をしておくことも良い。たいていのお店はそういう熱心な保護者には好意的なはずだから、頼み込めば無理をきいてくれるだろう。

つまり「バックアップ」を取っておくこと。

こういうことは子供は思いつかないので、保護者が考えなければならない。特に中学になると、いきなり問題集を渡されてしまうから、中学校に入りたての精神的に幼い子弟だと、大切なものだと気が付かない。「提出用問題集こそ『お役所』に提出するペーパー」だ、ということを肝に銘じさせる。

残念ながら問題集を紛失してしまうこともある。その紛失は他人による意図的や、非意図的な場合、つまり「盗難」「他人のものを無意識に持って帰ってしまうこと」も含む。

学校内ではよく起きることだ。特に「盗難」は、自分のものを紛失し、先生や保護者に言い出せず、無防備な同級生の名前を書いていない問題集を持って帰ってしまう可哀そうな場合もある。同情はするが、許すことはできない。当塾の生徒も被害にあった。

こういう意図的「盗難」なら戻ってこない。「無意識」の場合は気がついた後で、素直に「持って帰ってしまった。ゴメン」と返却する場合はいいが、全然気が付かなかったり、時間がかなり経ってから気が付いて、返却するのが気まずくなってしまうとやはり返ってこない。

ただしなぜか全然無関係な別の教室で見つかる、ということもある。
防ぎようのない場合もあるから、自分の持ち物に注意しなさい、と保護者が喚起するしかない。

先生の指示がなくても進めること

次に学校に提出するための問題集は、授業があるたびに、家で進めていく。ここでご子弟が「まだ先生から範囲の指示が出てない」とか「今やったら試験までに忘れる」などと屁理屈を言う場合は、「今まで勉強している範囲なら必ず出る」とか「記憶しようと意識して思っているうちは記憶できないものだ。自然に頭に入っている段階まで、何回も練習することが本物へ近づく一歩だ」とか、理論立てて厳しく指導する。

できる子供を育てる、親・保護者は必ずやっていることだ。ナマケモノはとにかく理由をつけて怠けたがる。それが精神的成長を妨げる一番のものだ。


オリジナル版の方に、いきなり書かせても良いが、なんかこれはできないな、と予想が本人に着くレベルの問題は一旦ノートにでも書かせる。できない・あるいはできたけど怪しい問題には印をつけておき、2段階ぐらいでオリジナルの方を、試験の1週間前には提出できる形式にしておく。

ここでようやっと、コピー版の出番だ。全部ノートに解答させる必要がある。漫然と解答させてはいけない。精神的成長が本当に今、問われていることを、意識させなければいけない。

「一度解いた問題を、今度はもう少し時間を短縮して解答できるか」
「試験場(定期テストなら教室)に持ち込めるのは、筆記用具と、あなたの頼りない頭だけ」
を強く言い聞かせなければならない。

ただし関数のグラフ描きなど、どうしてもそこに書き込まないといけない問題は、コピーのコピーを取っておく必要もあるし、与えられたグラフや、限られたスペースになんとか書く、というのも練習だ。それができるようになれば試験の時にもなんとか対応できるだろう。

逃げてしまう人は、そこで終わりである。
中学というのは幼稚園・保育所・小学校そして中学校を合わせて「義務教育」の終わりの3年間だ。保護者の今までの躾、教育、子育てが全て問われる時間帯だ。逃げてしまう子供を育ててしまった保護者は、責任を取らねばならない。そして逃げないように追い込むことが必要だ。

逃げてもそれは囲いの中で隠れたつもりになっているだけだ、皆がその囲いから出ていく時=卒業する時に「お前はこっちだ」と別の出口から出さされしまう。出てみたら、誰も知り合いがいなかったという事態になるよ、と言い聞かせて、問題を解かせなければならない。

公立中学というのは、地域の知り合いが寄り集まってできた学校だ。それが終わる時なんだ、と何度も言い聞かせる。これを繰り返せば、特に疾患のない、普通の能力を持つ子供なら、精神的成長を遂げるだろう。社会にとって一番伸びないといけないのは、中間層だからだ。
厳しいことを書いてしまったが、塾の先生の本音だ。