問題集の正解率を本番とリンクして考えさせる
数学の問題集で、レベル1が大問1なり2なりで小問が5つずつあったとする。合計10問だが、1回目の解答段階で2つずつ、合計4つの正解だったとすると「本番のテスト・ただしレベル1」の得点は、100点満点で40点を意味している、と保護しているご子弟に気が付かせなければならない。
ただ単に問題集の空白を埋めて提出しよう~という人は、そういう厳しい視点で自分の解答を見ていない。つまり「自分を甘やかす姿勢を取らせない=実戦を想定する」ように仕向けて行くことが大切だ。
そして、解答を点検した後は、その場で解き直させる。その時、見つけた注意点をきちんとクリアできるか、も点検しなければいけない。2回目で、さっき見たばかりの問題をまた間違えたら「2連敗」と意識してもらう必要もある。
次の日にもう一度同じ問題を解いてみて、ちゃんと解けるかどうかをチェックしなければいけない。ここでできていなければ、その問題はわかっていない、ということだ。面倒だが、この面倒な作業を怠っていると、もっと面倒な事態になる。
甘い考えで高校に入ったら大変
世に名の通った高校、あるいはお住まいの地区で良い評判のある公立高校には、すでに選別された人たちが集まる。中学でいい加減にやっていた人など、たまにいるだけで、ほとんどいないだろう。
お隣の大阪府は「誰でも安い学費で高校に行けるように」の考えで、成績のあまり良くない人たちでも公立=府立高校に受け入れてきた。「税金の公平配分」という理念では、一つの方法ではあった。大阪にはもちろん北野高校や、三国ヶ丘高校など、良い公立高校も多いが、底辺校も多かった。人口減少が原因で、再編作業になったが、それが大変だったから、この方法は部分的には失敗したことになる。
兵庫や、たぶん他の県では「税金には限りがある。その恩恵を受けるのであれば、努力した人を受け入れる=ある程度の成績を持っていないと公立高校には入れない」という姿勢だ。そして恐らく「税金を使うのだから、公立高校は潰れることはない。1年また1年と経つうちに伝統ができる。だからできるだけ良い伝統を築き、良い人材を育成してもらいたい」という考えもあったと思われる。
子供を持とうとするご夫婦なら、良い成績をあげている地域なら、それを聞きつけて移住してくるかもしれない。転勤していった人も帰郷してくれるかもしれない。その時子供を連れてきてくれるかもしれない。その地域の高校が国立大学に2ケタ以上、同時に上位40%は有名私大に合格者を出しているなら、なおさらだ。長い目で見れば、殖産興業だけではなく、教育水準向上も、政治の基本である「人を集める」につながる。
そういう良き伝統ある高校に通う人たちでも、部活や色々な活動と、学校の勉強を両立させるのには苦労している現状を、私は知っている。中学の時に、結構工夫をして勉強してきた人たちでもだ。そのような集団に入って、なおかつ、良い成績を取りたい、と思うのなら、中学生で丁寧な学習スタイルを自分なりに編み出し、定着していないと、にっちもさっちも行かなくなる。その覚悟は一朝一夕にできあがるものではなく、まさに日頃の蓄積にかかっている。
高校で急に能力が開花するなんて、漫画の世界ぐらいで、現実ではかなり稀だ。特に最近では、理科分野・社会分野でも高校学習との連携がかなり取れているので、英語や数学だけが良くても、苦戦は必至である。高校に入っても頑張るぞ、という中学生に、具体的に育てなければならない。親・保護者は大変である。