精神を重んじるのは悪いことか

「精神的成長が大切」と立て続けに強調しているので、「こいつは精神至上主義者か」と思われ、嫌悪される人もいるだろう。精神主義で悪名高いのが、旧日本軍の神風特別攻撃隊、いわゆる「特攻」を想起するのが普通だからだ。しかし現在は「メンタル重視、メンタル全盛」の時代になり、「心を大切に」と言われている。

ここで少し歴史を振り返ってみる。地味派手が好きな私としては、「戦争」と「精神主語」と聞いて思い起こすのが、水の補給だ。南方の島々をめぐって、日本軍とアメリカ軍では、水の補給に関しては正反対の対応だった。

アメリカは持ち前の工業力を生かして濾過器を大量に生産して島に持ち込んだ。日本が空母4隻を失う大敗を喫したミッドウェー海戦で「濾過器の故障というウソの情報」をアメリカが流して、作戦目標を突き止めたのも有名な話だ。

我が日本軍はというと「水がないから我慢しろ」だった。やれやれと思う。ところがこの命令に耐えた兵士は大勢いた。硫黄島でもそうだった。それだけ当時の日本人は我慢強かった証拠だろうし、生死をかけた戦闘になれば人間は極限まで突き進むことができる、という証拠かもしれない。

では平和な時は、こんな無茶はダメなのか、と思うが、スポーツ界でも似たような話はいくらでもある。
実在の選手では、先年の墜落事故で死亡した元NBAのレイカーズ所属コービー・ブライアントが、全米チャンピオンをかけた試合で、ひどい捻挫をしてしまったが、当人いわく「ギアを入れ替えて」シュートを決め続け、優勝した話がある。

漫画の中では、ひどい負傷でも試合を続けた「スラムダンク」のキャプテン 赤城や桜木花道。「あしたのジョー」の力石徹や矢吹丈は「水が飲みたい」と減量で苦しんだが、身体が慣れてしまい減量に成功した。「がんばれ元気」で世界チャンピオン戦を制した堀口元気は、闘志が猛るあまりに、出血が止まってしまった。

超人でも名選手でもなかった私自身も、試合中に足の親指の爪がはがしてしまったことに気が付かず、試合が終わった後に、痛みに襲われて初めて負傷に気が付く、という経験があった。すべて脳内麻薬のせいかもしれないが、精神というのは肉体を支配している証拠でもある。

日本人は一時期精神主義を捨ててしまったが、外国は…

しかし人類史上ありえないほどの悲惨な敗戦を経験した日本人は、戦後は「精神主義」を捨ててしまった。もちろんこれには良い面があった。精神主義「だけ」では勝利をつかめないし、メシも食えないからだ。しかし今度は物質至上主義に走り、昭和の高度経済成長は汚染と公害の黒い面を持っているし、あからさまな金銭崇拝に堕ちてしまったダークな面も大きい。

で、日本人が捨てて、忘れたはずの精神主義を研究していたのは、日本に勝利したロシア(ソ連)とアメリカ、それと敗戦国のドイツ(ただし東ドイツ)だったのは皮肉だ。

1950年代からの「イメージトレーニング、メンタルトレーニング」の始まりは、米ソのオリンピック・メダル争いが原因とされているが、私は彼らが、日本の特攻作戦や、水補給に対する態度を見て聞いて知って「なんであそこまでできるのか」と疑問を感じたからだ、と疑っている。あまりにも人間技ではないからだ。それも1人だけでなく、たくさんの普通の人間が実行したのだから。きっと気が付いたはずだ、と邪推している。

戦後の日本人が嫌悪感から捨ててしまったものだから、触れるのもいやだし、物質至上主義に汚染されていることで、より一層鈍感になっている。しかし、オリンピックのメダル争いは「メンタルトレーニング」に発展して、今は当たり前になり、メンタルクリニックまで乱立しているし、「メンタルが強い、弱い」という言葉は、日常、普通に使われるようになった。最近は躁鬱病の研究も進んでいる。

よって戦争やらオリンピックやらNBAやらとは違って、かなり程遠いが、小学生高学年~中学生の日々の勉強で「精神面」「メンタル面」の成長は、身体が変化していく年令にある当人には大きくかけがえのないものだ、と結論つけている。そしてそれに気が付き、導いてあげれるのは、そばにいるべき親・保護者しかいない。絶対に子供任せにして、放っておいてはいけないし、学校任せも「新学力観+過密スケジュール+教員不足(お給料も低いブラック企業なのでので、成長市場でもない)」なので、やめておいた方がいい。

今のところは、文房具や忘れ物など、目について、気が付きやすいことから例に挙げて、経験上どう対応したらいいか、という面から記しただけだが、何かのヒントになればいいなあ、と思っている。

もう少し続く。