中学1年生か小学校6年生ぐらいから「書く」ことに重点を置くのが良い
話しは元に戻る。
この英語教材 VITALs は「書くこと」に重点を置いた、と紹介してある。
特に1年分野で「書くこと」を疎かにすると、そのツケは指数関数的に増えていく。サラ金の取り立てと同じぐらい怖い。2年になってやり直すぐらいなら、1年、あるいは小学校のころからやっておいた方がいい。ましてや今回の英語新課程では、1年生、あるいは最初の段階で乗り遅れると、挽回できる確率はかなり低い。
で、書くとなると日本語でも時間がかかる。英語だと余計だ。だから速く書くための練習が必要だが、どこで、いつやるのか?という問題がある。仮に練習時間が取れたとする。その場合でも理想は1対1だが、大半は授業中にすることになるだろう。先生が見張っている方が安全だからだ。それでも能力差が付いていると、速く終わる人と、遅く終わる人との差が出て来る。
では、と宿題にすると、やって来る人と、忘れてくる人がいるから、やっぱり差が付くし、そもそも基礎ができていない人に宿題を出しても意味がない。変な癖が付くだけだ。また忘れてきた人には「居残り」という手段があるが、それは今や絶滅語に等しい。こうなると「差があること」を前提にして進めるしかないな、と考えてしまう。
理想に近づけるためには、建前だけでもいいから、文科省が転換練習の専用問題集を出すように、教科書会社に行政指示を出す方が良い。そうなると学校や教師側も、指導には逆らえないから、嫌でもやるだろう。権力は行使の仕方で正当化されるのだから。そして少しずつでもやりましょう、と進めていく。中学生は、まだまだ子供の部分が多いから、うまく誘導すれば、案外言うことを聞くと思う。塵も積もればなんとやらだ。
残念ながら自力救済しか手段はない
と、行政の動きを待っていては百年河清だ(「百年河清を待つ」とも言い、「待つだけ無駄、待つことで時期を逸する」の意味。この河は黄河を指す。もっとも最近、黄河は水量が不足してきて、澄むより枯れてきている。大丈夫か?)。そこで VITALs に「副教材 転換練習問題ノート」を付けようと思って準備中だ。40ページぐらいある。もしかするともっと多くなるかもしれない。これは無料になるだろう。なんだ、宣伝なのか、白ける人も多いかもしれないが、そこは謝る。副教材部分まで入れてしまったら、もっと量が増えて、手に取って(実際はダウンロードだけど)くれなくなるし、支える柱は1本より、あちこちに複数ある方が良いと思ったからだ。他にも色々考えている。
実は数学の教材もそのまま付けようかなとか、社会もいいな、とか。色々作っているからだ。中学の勉強は高校とは違って、汎用的である方が良いと思っていることもある。たくさん知った方が良い。
逆に高校は平均点重視主義を止めて、もっと専門的、言うなればオタク的になった方が良い。
なにしろ、パソコンOSも、インターネットも、フェイスブックも、ツイッターも、アイフォンも、すべてアメリカ発なのは悲しくないか?あれらを作った人はすべて、私から見れば「変人」である。
悪人は有害だが、変人は時に人類に有益をもたらすのは歴史の証明するところだ。 「個性重視」を言いだしてから何年たつのだろう?日本で教育者を名乗る人は恥ずかしい、と思うべきだ。結果を見れば「負け」は明らかだ。