今後の基礎になる中1の「文の転換練習」は一番苦労した

一番苦労したのがやはり現中学1年生が学習するであろう部分だ。
1年生は一番簡単だ、と思っているのは大間違いだ。やること、身に着けることは異常に多い。
2年でコケル人はそこの認識が甘すぎるのが原因だ。

皆がまず失敗するのが、be動詞と一般動詞の取り扱い=否定文と疑問文への転換方法の違いを「どんな場合でもすぐにできる」ことが、達成できていないことだ。これは英語新課程でもずっと問題になるだろう。人によっては中3の始めまで習得できていない例も見たことがある。

英語での「否定文・疑問文への転換」「下線部をたずねる疑問文を作る問題」は野球の練習でいうなら「ノック」をするのと同じだ。フラフラになるまで打球を追い続け、考える間もなく体が反応するまで練習する、あれだ。そのようなこと学校でやっているだろうか?

最近の学校ではそういうことをあまり練習しないまま、テストにだけは出題する。すこしトロイ人ならまず対応できない。テストだと考えている間に時間が過ぎてしまうからだ。

口で話す、否定文や疑問文に変えて話すなら、できないわけでもない。口を使うのはそんなに苦痛にはならないから。でも書くとなると、かなり「力」がいる。年寄りの繰り言ではないが我々の頃は、そんな練習ばっかりだった。今は語学ではなく娯楽になっている。

最近の子供は筆圧が弱いので書くこと自体に困難がある

「書く」、と、「力」で思い出したが、最近の子供は筆圧が本当に弱い。薄く、力を入れないまま、「すらすら」とではなく、「ペラペラ」と書く人が多くなった。なぜだか男の子に多い。だから2Bを使っていても、字が薄くて、曲がっているのか、尖っているのか、折れているのか、あるいは線があるのかないのか、読むのに苦労する。ほとんどエジプトやメソポタミアの古代文字である。

もう少し小学校できつく指導してくれればいいのだが、「メンドクサイ認定」された人は放置状態である。こういう現象はようやっと認知されてきたようだが、私は10年ぐらい前から気が付いていた。それでも今すべてが過渡期にあるのだろう。ある意味中途半端なわけだ。世の教育機関全体がデジタル化されているわけでもないし、言葉も統一されているわけでもない。

子供たちの遊びも外で遊ぶと危険が多いから、内にいることが以前より多くなっている。しかし人間である限り、肉体から離れて存在することはできない。もしできたら「地球幼年期の終わり」だ。よってある程度体を鍛えることも必要だ。

筆圧も強すぎれば肩がこるだろうし、弱すぎると字が薄くなって読めない。英語の勉強は、書きを重視なのか、それとも会話か。しかし会話のテストがスムーズにできるほど、環境が整備されているのでないし、上手に話せる人を揶揄うとか、子供時代は馬鹿が多いので、ちょっとしたことでイジメへとつながる可能性も否定できない。

つまり今現在、「これがいい」という基準そのものがぐらつき、どう調整すればいいか、皆で右往左往しているように見える。