当然、試験やテストを前提にしているから

なぜこんなに「常識」にこだわるのだろう。もちろん勉強・受験があるからだ。
国語の問題を解くのに、一般教養=その世界での常識で、中学生や高校生なら「知っていることを期待されるレベル」が必要となるし、それらが欠如している人は、絶対に苦労する。そういう人はたくさん見てきた。また数学や理科などでも。「常識的に考えると、まずどうなるのか」という発想が問われ、そこを覆す理論を突いてくるのが、試験・受験の常套手段だ。

そしてテストでは、細かいことを判定できるか、細かい作業を嫌がらずにできるか、が得点の分かれ目になるが、試験やテストを作成し、判定する「大人」だから「こんなこと当たり前だろう~」という前提があって、その前提を外す人に輝かしい未来は訪れない。

正方形の面積と聞いて「たて×横」が出てきたり、中学1年生後半になって円の面積を「半径×半径×3.14」などと言う人は全く大丈夫ではない。細かいことだが、線を引くのでも、中学2年生ぐらいになって未だに定規を使わずに手でぐにぐにゃした線で済ませて平気な人も、全く大丈夫ではない。さらに細かいことだが、数字を線で消すのに、3ケタの数字なら斜め線か横線、太い横線か二重横線で消すだろうが、縦に線を引いて消すような人は、全く大丈夫ではないだろう。

何が個性的で、何が非常識なのか、と判定する基準も極めて曖昧で、あるのかないのか自体もわからないことは認める。

我が子なら日頃からチェックしないといけない

これが無関係な人なら「あの子は変わっている」で済ませるだろう。でもそれが自分の保護するご子弟なら「変わっている」で済ませてはいけない。「なんだかこの子、わが子ながら変だぞ」とアンテナに引っかかる時は、是正指導するべきだろう。

ただしその際「あなたの発想は変だ」と決め付けては良くない。下手をすると口をきいてくれなくなるからだ。誰でも自分を完全否定されたら嫌に決まっている。「それはそれでいいけど、口に出す時は、あるいは他人の前では○○という風に言うんだよ。普通も大切だよ。でないと非常識と個性を混同しています、と人に知られますよ」と使い分けをするように、日頃から指導・誘導して、非常識な発想を忘れさせるように仕向けなければいけない。

中学生や小学生・高校生に関する学習的アスペクトをテーマにしたブログを書いているのだが(たまに脱線するのは愛嬌と考えて欲しい)、、裏のテーマは「精神的成長」であることは、お分かりになってきたはず。しかし精神は1つではなく、複数あってもいいし、複数あるならもちろん使い分けてもいい。

大人だって使い分けていないか?ならば、将来大人になる子供が、練習でやるのも構わないはずだ。「本音と建て前」はよく聞くし、精神的には分裂している、という指摘もあるが。歴史的には「和魂洋才」という言葉がある。

とにかく子供というのは中学生や高校生、果ては大学生になっても、全く眼が話せないものだ、と世の親御さんや保護者は覚悟しなければいけない。特に中学生は、それらがすべて高校受験で問われるのだから。

結局は試験・受験のためだが、それだけでは無機質で面白みがない。逆手に取って、むしろ試験・受験があることを好機を考え、常識などをチェックすることにして、積極的な姿勢を身に着けていくように仕向ければ、親子で楽しくなるだろう。