動機を失った日本の学生たち
「学ぶ」は「まねぶ」「まねをする」から来る、とよく聞く。そしてそれは動機がなければ、ほとんど発動しない。
ある学校に山猿が現れ、鉄棒でくるくると回り始めたが、それはその学校で生徒が練習している技だった、という話もある。もし猿が山から生徒が練習しているのを見て「あれなら俺にもできるぜ、人間どもよ、俺の技を見てみろ」となったのなら、猿も「動機」を持ち、技を「学んだ」ことになる。
経緯を再び振り返ると1989年の平成元年の学習指導要領の改訂に伴い,文部省=現文部科学省は「自ら学ぶ意欲や,思考力,判断力,表現力などを学力の基本とする学力観」であるとしているし、「新しい学力観」に立った学習指導が強調された。
しかし「新学力の定義」では「学ぶ」ことにはならない。そりゃそうだろう、「結果を出さなくて良い、形だけのもの」だから。また本気で勉強しなくても=成果をあげなくても、成績が良くなるのなら、誰が好き好んで苦しい勉強をするだろうか。いたら気色悪い変態である。中学生は子供だが、子供だからこそ本質を見抜いたのだろう。大人の欺瞞という本質を。
先生に「良い子」を見せてはいるが、急速に勉強しなくなった。先ブログ「私にとってのキセキの世代」で紹介した尾木ママの記事を少し補足すると、中学生はあの10年間の間、恐らく日本史上一番の「勉強しない中学生」だったと思う。
特にそんなに高いレベルの学校を狙っていない、近所の公立高校に行ければいいや、と考えている「中堅クラス」の生徒たちは本当に1990年~2000年の間は勉強しなくなった。
動機を失ったからだ。
人間の動機が生じるのは、初めから内から出てくる場合は、平凡人の場合はほとんどない。それは天才だけに起こる現象と言ってもよい。凡人の場合は、99%以上、外から来る、と私は考える。
中国の台頭の始まり
その当時、1989年の「天安門事件」で中国は経済封鎖を受けていたが、バブル崩壊に苦しんだ日本が中国に経済進出を始めたこともあって、そこから10年の間に完全に建て直し、香港もイギリスから取り返し、日本を圧倒することを国家戦略目標にし始めていた。鄧小平曰く「力を蓄える間は低姿勢」の方針というやつだ。次第に中国の台頭が目立ち始めたが、まだそれほど顕著ではなかった。しかし現場にいた者、つまり私にとっての「キセキの世代たち」は気がついていた。
またアメリカはクリントン政権になり、彼はインターネットIT経済発展を遂げたことで有名だが、実はクリントン大統領はアメリカの教育水準がものすごく低下していることにブチ切れていた。彼自身は一番レベルの高い奨学金を受けて、高等教育を受けた人だから、勉強の大切さを身に染みて知っている人で、ある意味「苦労人」である。
だから例のエア・フォース・ワン=大統領専用機でヒラリー夫人と全米を回り「教育の向上」を訴えたが、これはあまり知られていない。ヒラリー夫人が見るからに「教育ママ」なのはわかると思うが、彼も「教育パパ」なのだ。また彼自身が肥満に悩んだこともあって、子供の肥満にすごく神経を使い、コカコーラの自動販売機を学校に置くな、と言ったとも伝えられている。
アメリカの教育がそんなに落ち込んだのは、なんと日本が嬉々として導入した「ゆとり教育」だった。日本はアメリカで失敗した教育方法を、10年遅れて取り入れ、自滅の道を歩んだことになる。日本はアメリカのものならなんでも、有難がって受け入れるコンプレックスを、プレスコードとGHQと原爆によって刷り込まれている。また「アメリカではこうこうだ」と言う人の意見を重要視する傾向も強い。
これはなんとかしないといけないが、全然治癒できていない欠点だ。
「キセキの世代たち」と、彼らのすぐ上の人たちは、会社内で中堅クラスとそのすぐ下あたりに昇進していたので、事あるごとに「中国の発展、アメリカの復活=日本の落日」を口にしていたが、そのころの日本の教育界は「お花畑」だった。
他の人が何を言っても右から左に聞き流す私だが、彼らの報告は現場からのものであり、信じるに値すると判断した私は、まったく勉強しない中学生たちに、「こんなにのんびりしているのは今だけのことだ。あと10年もしないうちに、勤めていた会社が、中国とアメリカの発展で、ドンドン潰れるようになる。君たちは外国でも働けるぐらい、もっと勉強しなければ」と口酸っぱく説き、中国の発展ぶりとアメリカの復活を訴えていた。