自分にできるレベルの問題ばかりやっていないか?

9月~10月になると、やはり難しい問題に、積極的に自分から取り組まないといけない。
基礎ばかりやっていても成長しない、というのは何回も目撃しているが、難問を解くことで成長するというのも、何回も目撃しているから確かである。

この場合一番問題なのは「そんなのは自分には無理だ」と自己能力を限定してしまう心理、つまり意気地なしというか、臆病とかになってしまうことを避けれるかどうか、だ。

実はかく言う私もそうだった。大学受験の時、偏差値55から良くて58で、中々60の壁を突破できなかった時期がある。時間は迫ってくる、どうしたものか、と本屋に行って自分が「解けそうな問題集」ばかり探していた。その時「難問題シリーズ」のような名前の付いた本が眼に入った。

なんだかその問題集から目が離れないので、それで半分ヤケになって買い、家に帰ってそれを解くことにした。きっと神様が「これを解け」と命じたみたいで、不思議な気分だった。

確かに難しかった。1問解くのに半日かかったこともある。当時はまだ土曜日も午前中は授業があったので、土曜日は3分の1日、日曜日はその問題集を解くのに全部つぶれてしまったことも記憶にある。すべての知識が問われるため、教科書やノートを何回も調べなければならなかったからだ。数学では計算の正確さが問われ、英語では熟語は「あればあるほど良い」ことを痛感し、文法書の内容など、ソラで言えて当然、というレベルの問題ばかりだった。

手順を覚えているか点検した方が良い

だから途中で「もう覚えておかないと時間がかかって仕方がないな」とあきらめて、できる限り覚えることにした。新しくノートを買ってきて「オレの虎の巻」と名付けて、重要事項を書き込むことにした。他の科目も「難しいぞ」と謳う問題集を買ってきて、同じようにした。

今と違って「詰め込み教育ど真ん中」の時代だから半端ではなかった。しかし人は生まれてくる時代を選べず、精いっぱいその時代の中で生きていくしかない。もし大正中期~末に生まれていたら、20代を前の戦争で徴兵され、やりたいこともできないまま、戦死したかもしれないのに比べればマシかもしれない。もっとも私のことだから、調子に乗って、陸軍士官学校やら海軍兵学校を目指していたかもしれない。ただし戦火に倒れていった人たちのことを、軽く考えているわけでは決してない。

3か月ぐらいそういう学習生活を過ごした後、受けた全国模試の偏差値は65を超え、社会科関係はどれも70ぐらいまで達してしまった。

あっけないぐらいだった。
受験が終わって成績が急激に伸びた同期の人たちに聞くと、ほとんどが自分もそうだった、難しい問題に挑戦してから伸びた、と証言した。やはり受験の神様が助けてくれたみたいだ。

「難しい問題に接して初めて、簡単な問題が簡単だと認識できる」のだから、当然と言えば当然のことだ。

志望校レベルの問題なら、解けるようになったので、「早く入試にならないかな」とまで思うぐらいに気を抜いてしまったので、結局第2志望の大学にしか通らなかったのは、人生で痛恨のきわみでもあり、身をもって「油断大敵」と言う言葉を、知ったことも忘れてはならない。

特に数学の数列分野と、古文の「源氏」をもっとちゃんとやっておくべきだった。まだまだ奥の深いところに「何か」があるのだ。

まだ続く。