いきなり答えを見るのはさすがに…

しかし難しい問題を進めるのは、中々苦労するものだ。

実は問題を解くことより、時間がかかることの方が苦痛なのである。
では時間を短縮したければ、単に「問題を解く、解けるようになりたい」のなら、極端だが、解答集を見て、何回も書いて覚えてしまえば良いからだ。

それをするな、という人もいれば、それこそ最良の策だ、と言う人もいる。
一体、どっちが正しいのか?どっちが良いのだろうか?

目指すところが違うだけだな、と私は考えている。
答を見るな、自分で解答方法を導き出せ、と言う人は、勉強することが自分を磨く、という哲学を持っていると思われる。スポーツで言うなら、苦しいことをできる限り自分で乗り越えて初めて、段階が上昇するのだ、そこが我慢のしどころではないか、みすみす自分を下げる必要はないと考えているようだ。

答は見てしまえ、やり方を考えて覚えてしまえ、と言う人は、勉強するのにそんなに時間をかけてどーするのだ、今の自分に解答方法を考え出す能力がないから苦しんでいるのではないか、天竺までお経を取りにいかなくても、後ろに解答方法があるのなら、利用するべきだ。
もしかすると、そもそも今の勉強や学校体制に「価値」があるのか、はなはだ疑問だ、とまで考えているのかもしれない。

そして解答を見ないで自分で考える、という方法を取りたい人は3通りある。
一つはやはり実力のある人だ。つまり「モノが違う」のだ。
次の一つは理想家だ。「こうあれねばならない」と考えている人だ。
その次の一つは、実は解く気もないし、自分にはその能力もないと見切っていて、見る気にもならない、という人だ。簡単に言えばなまけものであり、ある意味正直な人だ。

解き方を覚えるにも種類がある

解答を見て解き方を覚えて、とにかく問題を解こうという人も何種類かある。
一つは自分に実力がないことを知っている人だ。しかし解き方を見て問題を解こうというのはまだ見込みがある。

次の一つは現実家だ。Clear and present danger、目の前の危機をとにかく回避することを考えている。

その次の一つは、ナマケモノかメンドクサガリだ。とにかく問題を片づけて、遊ぶ時間を増やしたいとか、買ってきた本を早く読みたいとかなどだ。あるいは「この解き方は知っているから」という理由もある。ただし本当に解けるかどうかは不明だ。

そしてどちらも欠点がある。
解答を見ないで、時間をかけていると、少ししか問題が解けないか、下手をすると1問も解けないうちに時間がなくなってしまうかもしれない。そうなれば、テストで点数も取れないだろう。

解答を見て解き方を覚えていくやり方だと、自分では何も産み出していないなぁ~というコンプレックスを持ってしまうかもしれない。そして覚えきれなければ、やはり点数は取れないだろう。あるいは覚えることに集中し過ぎて、頭が固くなり、ちょっと変形された問題には対応できないかもしれない。

私は「問題を解くことで自分を磨く」も「理想家」も「目の前の危険を回避」もすべて実現したい。
だから「解答を見ない、見る」「解答を覚える、変形問題も解く」を臨機応変にやってもらっている。結構長い間学習指導をしてきて、中学校や高校の勉強ぐらいは、そんなに神経質になることはないだろう~と思っているからだ。

それに何回も読むことで、案外飲み込めたりするから、人間の脳は不思議なものだ。新しい「型」を覚える段階なのであろう。ただし「型がない」のと「型やぶり」を混同している方が多いのではないか、と思っている。自由に自分で考えなさい、はある意味「形が無い」状態で非常に危険だからだ。

保護者の方も柔軟になってもらいたい。
子弟の問題の解答姿勢をよく観察して、解答を見ないで唸っている子弟には「見て覚えたらいいよ」と指導し、解答を見て、ただ写すだけの人には「見過ぎです、少しは自分で考えなさい」と指導する。自分はこうだったから、とやり方を押し付けないことも大切だ。

また悪い習慣が身についてしまている人を、悪習慣から脱却させるのは中々に難しい。どこかで聞いた話だが、悪い癖のなおらない坊やの癖を矯正するには「最初からやり直す」ことしかないらしい。これについてはまた書いてみたいと考えている。

それらを乗り越えた時、精神的に成長、つまり正確さが増して、ずぶとくなる。