1980年代になると

1980年代になると「校内暴力」の時代になり「荒れる学校」とも呼ばれた。しかし同時に授業内容・授業時間削減も始まった。いわゆる「ゆとり教育」はこのあたりから始まっている。

世相も「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本がベストセラーになり、戦後の日本に、初めて余裕が生まれた時でもあった(著者のエズラ・ボーゲル博士は2020年12月に死去)。1985年にプラザ合意があり、日本企業はバブル経済へ一直線、イケイケで金融緩和をひた走り、「財テク」という言葉も生まれ、一主婦が株を買って金持ちになったり、会社員のボーナスも破格、就職も売り手市場で学生は楽勝、夜の街のジュリアナ東京では女性が踊り狂い、赤坂プリンスホテルのクリスマス・イブの予約は1年前から埋まるなど、大人はほとんどが浮かれていた。なのに学校はなぜに「校内暴力」?…という状況だったから妙なものだ。

一応は読んでみた、後半が大切

私も「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を読んである。残念ながら本体はもうここにないけど、内容はある程度覚えている。ポイントは題名で「イズ」ではなく「アズ」なところだ。題名を明治風に和訳すれば「一等国としての日本」ぐらいだろうか?

本書は前半で日本が戦後復興を成し遂げ、アメリカに迫る形で経済成長をしていることを分析し、褒めているのだが、問題は後半だ。資産を蓄えた中間層が向かうところは子弟の高等教育の充実であり、目指すはヒエラルキーの頂点である、とあった。つまり第2次受験戦争が始まることと、階級社会になるぞの予言だった。

まだ人口減少は目に見える形では始まっていなかったが、警告を発する人はぼちぼちと出ていた。しかし10才~18才の人口は競争をするには十分な数だった。だから多くの塾や予備校が乱立している状態だった。ちょっと前まで、「爛熟」を文字って「乱塾時代」とも呼ばれていた。

生徒数が少なくなって入試が簡単になってきた

今はAO入試とか推薦入試とか「入試の多様性」「多方面からの評価」が謳われている。それ自体は非常に良いことだ。しかしその始まりの動機はかなり不純だ。科目削減と授業時間削減から、今までの試験形態では太刀打ちできない生徒が増えてしまった。このままの形では一番の稼ぎ時である入試を受けてくれない。同時に、優秀な人間を数多く確保したい。だから大学側が入学条件を緩和しただけ、と私は考えている。

現に普通の公立高校の3年生に一般入試用の問題を解かせると、たいていは半分ぐらいしかできない。それも大学受験では「知っていて当然」のレベルだし、日常会話でも使うものだったりする。そしてそれでも学校の成績は普通よりかなり良かったりすることが、この15年ぐらいの間の現象だ。いわゆる基礎力の減退と考えても良いだろう。

これは私の勝手な印象ではなく、立証例がある。

神戸大学の研究調査によって「特許志願数の減少」が指摘されているからだ。大学生になっても日常的に比較的勉強を頑張らなければキープアップしにくい理系ですらこうなら、読書量が極端に減り、長いものは映画でもだめ、というような文系生徒の地盤沈下は、表には出ないが簡単に推測できるはずだ。

なんだか大分、話が逸れた。「内申点制度」に戻らないといけない。

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日本史をある程度知っている方たちなら、昭和の初期に「血盟団」という過激組織が「一人一殺」「一殺多生」をスローガンに、暗殺を繰り返した歴史的事実をご存じかと思います。

その手段は決して賛成できませんが、彼らは「今の(当時の、の意味)日本は政治が止まっている」と判断し、このままでは貧困に悩む衆生を救えないと考えたわけです。実際に政党政治は機能を失っていました。そして経済格差がどんどん広がることを要人暗殺で食い止めようとしたわけです。

現在の日本ですが、もし例の宗教集団との関係を、このままそう~と断とう、断った振りをしておこう、と与党政治家たちが考え、被害者の救済とあの宗教集団を結果的に無傷のまま放置するようになったとしたら、どうなるでしょう?残念ながらメディアやマスコミは次の話題を求めて後1年も経たないうちに、沈静化していくから、はっきり言って全く当てにはなりません。

しかし被害者は今現在でも、それこそゴマンといるわけで、逆に言えば第2第3の襲撃者候補もゴマンといるわけです。その彼らがSNSなりでつながり、「令和の血盟団」を結成し、「後2、3人ほど死ななければ、与党は本気で動かない」と判断して、ほとぼりが冷めた2年後あたりの衆議院選挙の時に、認可を出した元文部科学大臣や、ずぶずぶの関係が取り沙汰されている与党幹部などを襲撃する、という図式は簡単に描けるわけです。

警護のプロであるSPが付くのは現首相、与党幹事長、野党党首ぐらいまでで、後は不慣れな地方警察が警護に当たるしかないし、もし内部通報者(か、自覚のない協力者)が議員候補者の応援集団の中にいれば、スケージュール把握は簡単なわけで、危険は増大します。

そして事件が起きた時、その時、有識者などが「民主主義を脅かす行為だ!」と非難しても、彼らが「今の日本には民主主義は機能していないと俺たちは判断したのだ!」と主張したら、どう反論するのでしょうか。

いや自民党やら他の与党の関係者は私にはどうでも良いんですが(知り合いもいませんし)、そんなことより日本の国際的評価が落ちるのが私は怖いんです。またそしてその時の襲撃方法が、今回のように銃撃という「まだ紳士的なやり方」でなく、爆弾を複数を使って、しかも同時多発的に行われてしまっては、被害がものすごく大きくなってしまいます。

今までのやり方で切り抜けられるだろうと考えている風の「時代遅れな」匂いのする政治家たちを見ていると、私は心から危惧し、本気で動いて欲しいと、与党関係者に切に望んでいます。