数学でも形式読解力が要求される

国語に限らず、形式読解力があるかないかは、図形の合同証明の時や文章問題の時にも露わになる。
例えば問題に「空所に適切な語句を入れなさい」とあり問題文が

△ABCと△DEFは
AB = DE…①
BC = EF…②
CA = FD…③
これは三角形の合同条件 [ ●●●]に当てはまるので
△ABC≡△DEFになる。

という極めて単純なものがあって、「●●●」に当てはまるものを書けが問題とする。

ある程度問題を解いて、慣れてきていても、形式読解力のない生徒は、「2組の辺とその間の角がそれぞれ等しい」という文を平気で入れたりする。これは大変良く使う合同条件だから「迷ったときはこれを入れておけばいいか」と考えてしまうらしい。

つまり①~③の部分が「日本語に転換」できていないのだが、致命的なミスだ。最初にこちらが何も言わないうちにでも、すんなり合同条件が適用できる人は形式読解力はあることになるが、少し形を変えられるとわからなくなる人はその力がない、とわかる。

英語でも同じ

英語の部分英作文でヒントとして「●は▲を◇に■しました」の日本語文があったとして、少し順番を変えて「◇に▲を●は■しました」とされただけでも、「文の最初にあるから◇を先にしよう」としたり、◇を主語にしたりする生徒はたいてい50点以下の得点になる。そもそも「主語」「修飾語」「目的語」という概念が頭に入っていなかったりするからだ。

あるいは「空腹だったので、(●●● )、その果物を食べてしまった」を意味する英文があったとする。しかしその時、前後の文を読み取って、「普通ならこうするだろうな」と予想をせずに、単純に( ●●●)に補充単語を入れてしまう場合も多い。

また純粋に国語の評論文問題で「~という理由を書きなさい」の問いに対しても、普通なら「~だから」とか「~という理由が考えられる」とか「~ではないかと思う」などいう言葉やフレーズを探して、それをまとめればたいていは当たりなのだが、そこがわかっていなくて、頓珍漢な事を書くようでは、やはり形式読解力がない、となるだろう。

問題集を選ぶときは形式読解力に重点を置いたものから始める

国語の問題集や参考書を選ぶ時に、このような形式読解力、つまり接続詞だとか、呼応の副詞などの説明を詳しく解説し、「正確に字面を追う」姿勢に徹しているものを選んで、忠実に始めることがポイントになる。実質読解力はその先にある。

例えば出口先生や福島先生のものは主にこの「形式読解力」を磨くために、存在価値がある。

次の疑問は、大半の中学生・高校生が、この形式読解力を欠いている理由だ。
これについては専門家がさまざな観点から説明しているので、素人視点からの考えを述べる。

一番の理由は「会話での話言葉と、活字・文字になっている文章で使われる言葉は、かなり扱いが違うものだ」ということを教えていない、教えてもらっていない、あるいは教えてもらっていても、理解できていない、覚えていなかったりする人が大半で、このような力は意識的に磨かないと、まずもって、身に付かない。そしてそのことを教育する側が認識していないのだ、と私などは考えている。

証拠と言っては何だが、福島氏や出口氏の著作は、教育現場では採用されていない。最近は少し、その動きが見えてきたが、やはりまだ少数だ。

国語の教育専門家は、「受験と教育は違うものだ」と考えているのかもしれないが、試験がなければ生徒は勉強しないし、締切がなければ漫画家や作家は、小説を書いたり、漫画を描かないということを忘れている。

ここは「形式読解力」だけでも、強制的にやるべきだと思うのだが、まだまだ無理なようで、残念なところだ。あなたのお子さんはどうだろうか?