参議等(さんぎひとし)は源等(みなもとのひとし)
浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき
[現代和訳]
浅茅の生えた寂しく忍ぶ小野の篠原のように、私の心はざわざわと荒れ果てています。もう耐えきれないぐらいあなたが恋しいのす。
[作者生没年・出典]
生年880年 没年951年 後撰集 巻九 恋一578
[人物紹介と歴史的背景]
本名は源等(みなもとのひとし)で、11番の小野篁の箇所で紹介した「三筆」の一人、嵯峨天皇のひ孫にあたる。
参議とは太政官に置かれた役職で、朝議に参与する地位だ。四位以上から任命され、平安時代に定員八人と定まった。
この歌は古今集にある「浅茅生の 小野の篠原しのぶとも 人知るらめや いふ人なしに」の本歌取りと言われている。
「浅茅」とは荒れ果てた家を連想させる言葉でたいてい怪談につながる
「浅茅生」は「荒れ果てた家」を連想させる言葉で、そこから「わびしい、寂しい」という気持ちを生じさせるテクニックの一つだ。また源氏物語でも「浅茅が宿」として「お金がなくて修理ができないから荒れ果てたままの家」を想像させるシーンもある。
sるいは、怪談好きにとっては「『浅茅』と聴けば、上田秋成の『雨月物語』に収録されている『浅茅が宿』だ」、と思うかもしれない。これは農業が生業だった男が、大儲けをしようと妻を家に残して、都に行き、金儲けは果たしたが、帰る途中で山賊に遭い、すべてを奪われる。その後戦乱に巻き込まれて、7年経って、ようやっと家に帰ると、妻が待っていてくれた。
明日からまたがんばろう、と2人は誓うのだが、朝になると、生家が荒れ果てた小屋になっていた。驚いて家探しをすると、妻の墓塚があった、という話。外に出てみると、老人になった知り合いがいて、去年妻は死んだとのこと。自分が昨晩抱いたのは亡霊だったのか、と男は茫然した、という話だ。どこかの図書館に本が置いてあるかもしれない。このように、とにかく「浅茅」は「荒れ果てた」のイメージがある。
「牛鬼」はまたちょっと別の話
しかし昨今はこういう怪談話を、普通の小中高校生は知らなかったりする。やっぱりアニメの「日本昔話」が終了してしまったことが痛い。しかしYou Tube を検索してみれば、多少画像は悪いが、当時のままで見ることができる。ぜひ見ていただきたい。
特にその中でお勧めなものは「牛鬼」という話だ。ここ。
不思議なことに、普通(?)の鬼や山姥(「やまんば」と読む)、あるいは浦島太郎の話は全国津々浦々に流布しているのだが、もっと不思議なことに、この「牛鬼」の話は、和歌山県と四国の限られた地域にしか、広がっていない。だからもしかすると、和歌山と四国の東側だけに本当に牛鬼がいて、それで残ったのかもしれない。
まるでエイリアン
四国の香川県・青峰山にある根来寺は、お遍路のルートに当たり、霊場の一つになっている。
HPはここ。
HPの最初にある怪物の像が「牛鬼」で、昔に武士に退治されたという言い伝えと、その角が保管されている。でもどうみてもエイリアンだ。それも空を飛ぶバージョンではなく、手に水かきの付いた「水中生物」的な形態をしている。伝奇伝説本でも池の中に住んでいて、人を襲うとか、襲われた人は黒焦げになるとか、なんか変な話ばかり残っている。こういう話を収集することも面白いかもしれない。