「ふじわらのきよすけ あそん」と読む

長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき

[現代和訳]
この先も生きていくなら、今のつらいことなども懐かしく思い出されるのだろうか。昔は辛いと思っていたことが、今でも懐かしく思い出されるのだから。

[作者生没年・出典]
生年 1104年 没年1177年 新古今集 巻十八 雑下1843

[人物紹介と歴史的背景]
79番の左京大夫 藤原顕輔の息子になる。ただし父親の顕輔とは仲が悪かった。清輔は家柄と家業のどちらでも、藤原俊成のライバルで、実際に歌を作ることも、もちろん上手だが、そこに留まらず歌を学問の対象とした「歌学」の権威でもあった。

道因法師と一悶着あった人でもある

82番で紹介した道因法師が「判者にクレームをつけた」としたが、その判者が清輔である。しかし当時もう老人である道因に恥をかかせるだけだから、で反論せずに黙っていた。道因のクレーム内容を知っている人が、清輔の姿を見て「道因はボケている、それに対して清輔はさすがにできた人で、どこに出しても恥ずかしくない立派な人だ」と褒めている。

なお、この歌を作った時の年齢には対立する説があるが、歌の内容自体はいつの時代にも、どんな年齢の人にでも当てはまることを、うまくまとめたもので、やはり達人なのがわかる。受験生はぜひ覚えておくべき歌だ。

俊恵法師 は「しゅんえほうし」と読む

夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり

[現代和訳]
一晩中恋しい人を思って悩んでいるので、早く夜が明けたらよいと思っているが、夜は明けず、寝室の隙間さえもつれなく感じられる。

[作者生没年・出典]
生年 1113年 没年不明 千載集 巻十二 恋二765

[人物紹介と歴史的背景]
71番の源経信(つねのぶ)の孫で、74番の源俊頼(としより)の息子だが、本名は不明。歌は「明けやらで」と「明けやらぬ」のどちらかで対立している。

どっちでもいい感じがするが、「で」だと季節は無関係になるし、「ぬ」だと季節は「夜長の秋」と決まる。つまり「雑歌」か「秋の歌」かで分類に影響もでるし、少し意味合いが違ってくる。

互助会も結成した面倒見の良い人で、源頼政や鴨長明とも親交が深い

さて、彼はけっこう活動家で「歌林苑」という30人ぐらいの歌人グループを結成して、創作を競い合っただけでなく、住んでいる家の修理や、生活上の相談や解決もやる「互助会」も運営していた。メンバーは84番の藤原清輔朝臣、87番の寂蓮法師、82番の道因法師、90番の殷富門院大輔、歴史上の有名人物では鴨長明源頼政も入る。俊恵は鴨長明の歌の先生だ。

源頼政は92番の二条院讃岐の父親で、「鵺退治」「以仁王の平氏討伐の令旨」で知られているはずだ。ちなみに「鵺」は、現在では観光客がわんさかいる清水寺の坂のところに、夕方から夜中にかけて出没した。頼政に退治されてしまったから、現在では出ないと思うが、世が乱れたら、また出現するかもしれない。だから「腕に覚えがある人」は、修業を怠らないことが期待される。また俊恵は次の86番で紹介する西行法師とも親交が深い。けっこう「面倒見の良い親分肌」な人だったのかもしれない。