なぜその塾生は日本の古典がだめだったのか?

話は元に戻り、入塾して、私の古典授業の初の生徒になったK君だが、相当優秀そうなこのK君が、なぜ古典関係が「まるでだめ」だったのであろうか? 高校の時、流されて、流れて生きていた私と違って、勤勉で、難関私立高校受験までしようとする、良い意味での「意識高い系」だったのに。

実は彼は、日本人ではなく在日韓国人で、朝鮮学校の小学部⇒中等部に進学した男子生徒だったからだ。ただし日本で生まれて、日本で育ち、友達に日本人もいっぱいいる。まるで落語みたいに、オチまで付いている。

知っての通り、朝鮮学校の内部は、「韓国」だから、朝に登校して、夕方に下校するまでの約8時間は、韓国語だけを使う。数学も理科も社会も、授業も授業中に使うプリントも全部ハングルで書かれた韓国語、授業で使う言葉も韓国語だ。

夏休みなどを除いて1年を単純に300日とすると、8×300=2400時間。これが小学校6年+中学3年=9年続くとして9×2400=21600時間。これでようやっと、韓国語のドラマがそのままわかったり、割合に複雑な会話もできるようになる。ただし中にはストレスで、小学生なのに「十円玉はげ」になった子もいた、というから壮絶なものだ。

日本の英語教育など話にもならない

中学ぐらいになると韓国語には不自由しなくなるし、今後の学歴、就職のためには、日本の高校・大学へ進む、あるいは韓国に行く、いやアメリカ等への留学するなどの、選択肢の増加のために、K君のご家庭は決断をする。韓国本国は、格差社会が日本よりも激しく「進化」していて、「ソウル大学出身でないものは人にあらず(女子は梨花女子大学なども入る)」みたいになってきて、とても息苦しいとのこと。私も同意した。あの時決断して良かったです、と後々感謝されたのは、手前味噌だ。

とにかく、あの学校空間では日本は「外国」で、学校の「国語」は、韓国語だし、習う歴史も韓国のことだ。だから彼には、小学校から日本の古典文および歴史は「全然だめ」以前の話で、ほとんど触れたことのない世界だったのだ。

日本の英語教育がいかに「お花畑」で、甘っちょろいか、おわかりだと思う。「話せる」ようになるには「書くこと」も「覚えること」も、「血反吐吐くまで」は言い過ぎとしても、ここまでやらないといけないわけだ。むしろあれぐらいの授業を受けた後で、それでも「英語がんばるぞ」とまだまだ自己研鑽をして、英語でコミュニケーションができる人が、たくさん出現する日本の現状は称賛するべきレベルだ。

しかし日本語に囲まれていきているのも事実

でも、彼の身の周りには、現代の日本語があふれている。近所の人は全員日本人、見るテレビも読む本も全部日本語。おとぎ話も日本のものを日本語で知ったし、韓国のおとぎ話の方が、彼には縁が遠い。夢だって日本語で見ている。

韓国語は学校でだけ話し、帰り道で朝鮮学校の友人と話す時は、日本語で話す。ちょっと笑ってしまうが、学校の先生といっしょに帰る道々でも、日本語だった、とも教えてくれた。その先生自身も日本のテレビドラマのファンだったり、日本の球団やサッカーチームのファンだったりする。

そんな彼が、特にテレビの中で日本の昔の話が出てくると「ああ、歴史が長い国だ」と実感し、戦国時代や鎌倉、平安時代のことを知ることに憧れていた。またお正月になると注連縄を付けるが、それはなぜか。門松をなぜ立てるのか、鏡もちはどういう意味があるのか、知りたかった。

自分は日本で生まれ育っているが、日本人ではない、でも日本のことはわかるようになりたい、特に時々見かける「歴史的かなづかい」を扱う古典文は謎に満ちたもので、読めると嬉しいな、和歌ってなんだろう、作ってみたいなあ、と切に思うことがあったらしい。この「切に思った」ことが大切なのだ。

翻って我々はそのような「切なる気持ち」を持ったことがあっただろか?

まだ続く。