本の名前を思い出すのに苦労した

普通、記憶は曖昧になるものだが、なぜかある部分だけは鮮明に、強く残る、という経験をしている人がいる。たとえそれが危機感のない、ごく普通のシーンであったとしても。

彼女が読んでいたのは「古今和歌集の解説書」だと教えてくれた。古典音痴の私でも日本史の知識ぐらいはあったので、古今和歌集が醍醐天皇の命により、紀貫之と紀友則などが協力して、初の国家事業として編纂された「勅選和歌集」だ、ぐらいは知っていた。

その本が「中道館シリーズ」だとわかったのは、自分が探し求めていた今になってである。その時の記憶は「●●解釈シリーズ、B6サイズの本」という曖昧なものでしかなかった。

シリーズ名がわからなかったから、グーグル先生に「古文 古今和歌集 解説書 シリーズ 白いカバー 1970年代出版」など、あれこれ検索をかけて、色々なブログを訪問して、ようやっと行き付いたぐらい、今では「レア物」になっていた。

日本史に和歌は出てこない

その女生徒は「さっき先生が言っていた在原業平の歌が載っている」と指でさして教えてくれたのが「世の中に絶えて桜のなかりせば」だった。しかしその授業中に、半分寝ていた私は「そうだっけ」ぐらいの返事しか返せなかった。「でもこの歌の前には、藤原良房の歌があって、それがこれ」と「年経ればよわいは老いぬ」の歌を見せてくれた。

良房が当時の最大の権力者だ、ぐらいは知っていたが、それ以上の疑問はなくて「ふ~ん。だから?」と尋ねた。「この本の先生(=小林和彦氏)は「世の中に~」の業平の歌の解説に『古今集は良房の得意満面の歌の後に、業平の歌を載せているのは単なる偶然であろうか』と疑問を提出しているところが面白いよ」、と親切に教えてくれたのである。そして私はその本を見せてもらい、その箇所を確認した

その後、進路の話題に移り、彼女は国文科に行きたいとか、学校の先生になりたいとか言い、対する私はまだ何も決めていない、とか取り留めのないことを話した、という記憶がある。それで終わりだった。

つまり青春の甘酸っぱい記憶とかそんな良いものではなかったがため、この会話は、何十年も記憶の海の底に沈殿していたのであるが、改めて「竹取物語」を読んでいるときに、まるで「Uボート」のU96号か、「ハンターキラー 潜航せよ」のアーカンソー号のように、あるいは海底に潜んでいたガメラのように、急速浮上してきたのである。

確認するとやっぱりあった

そしてようやっと(探すのにはえらい時間がかかったが、注文した後は、す速く到着した)取り寄せた中道館シリーズ「古今和歌集」を読むと、p37に確かにこう書いてあった。

惟喬親王は第1皇子でありながら…藤原氏の出である明子(あきらけいこ)を母とする第4皇子・惟仁親王(後の清和天皇)と東宮位を争って破れ…」そして「…前の23の歌は一方の当事者良房の得意満面の思いをこめた歌であり、それに続いて、他の一方の当事者・惟喬親王の縁につながる在原業平の、何か思いに屈した、のどかではありえない心を蔵するこの歌が配置されているのは、単なる偶然であろうか

その日、その時、20年以上の年月が過ぎて、私はものすごく古く、貴重な友人に再会できたような気がしたことを覚えている。私が探していたものは、デオドラント化された美しいものではなく、人間のドロドロした情念を伝えてくれる情報だったことを再確認した。その日から私は岩波書店の「古今和歌集」と、この中道館シリーズの他の解説書を何冊も購入し、精読した。

昔でも「言論の自由」はあったが…

そして読めば読むほど「昔の歌詠みや、物語には、二重三重に、かなりの事を込めている」ということがわかってきた。つまり昔の人は「言論の自由」を行使したいなら行使はできたけれども、「言論の自由と生命」は保証されていなかったがために、歌一つ、物語一つでも「命がけ」だったことが、うっすらとわかってきたのだった。

まだ続く。