大弐三位(だいにのさんみ)は紫式部の娘
有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
[現代和訳]
有馬山の猪名の笹原に風が吹くと、葉が鳴りますが、その音のように、 どうしてあなたを忘れたりするものではありません。
[作者生没年・出典]
生年999年 没年不明 後拾遺集 巻十二 恋二 709
[人物紹介と歴史的背景]
「ありま山=有馬山」とは今の神戸市兵庫区付近にある山で、ここでは歌枕になっている。「いな=猪名」は大阪府の西の端にある河辺と豊能郡全体を指す。本名は藤原賢子(かたこ)。彼女の方が名がわかるのは、天皇の子供を産んだからである。
当然と言えば当然だが、当時は今の京都府に都があった。しかし特に平安時代は経費節約のために軍隊を廃止していた=道中の治安が悪いので、そんなに遠くには行けない。あの光源氏の事実上の「配流」先が今の神戸・須磨の付近だったぐらいだから「遠い」という観念の幅が分かるだろう。
だから「観光」に行くとしたら、京阪神近辺、かなりの遠出で和歌山の熊野三山ぐらいしかない。そこで百人一首には、結構な割合で京阪神の地名が出て来る。これは関西に住む人間にはなんだか嬉しい。1首ぐらいそういう「地名」で好きになってはいかがだろうか?
赤染衛門(あかぞめえもん)
やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな
[現代和訳]
約束など信じないで、さっさと寝てしまえばよかったのですが、信じて待っていたので、とうとう明け方の月が西に傾くまで眺めてしまいました。
[作者生没年・出典]
生年956年 没年1041年 後拾遺集 巻十二 恋二 680 中古三十六歌仙の一人
[人物紹介と歴史的背景]
名前は父親の官名からきていて、「栄花物語(栄華とも)」の前半(正編のこと)の作者だろう、とされているので有名だが、本名自体は不明。「栄花物語(栄華とも)」の後半(続編のこと)は、別の人が書いたようだから、モーツアルトの「レクイエム」みたいなものだ。
広告塔とキャッチコピー作成の役割を果たす
赤染衛門は、一条天皇の中宮になった道長の娘・彰子の教育係として仕え、勅撰和歌集に93首入選している和歌の達人だ。また「広報誌」みたいに「道長様の治世は素晴らしかった」と「栄華物語(栄花とも)」では、ほめちぎっているところが多いので、割り引いて読まないといけない。それを除けば、親切で、性格もよく長命だった。
当時は「言論の自由」などない時代だった、というのを忘れてはいけない。野党は存在できず、抹殺の対象になるか、「人間扱い」されないかのどちらかだった。そんな時代に生きるためには、自分が権力者になるか、権力者の使いやすい人間に自分がなるか、それとも権力の及ばないところで生きるかしかない。だから赤染衛門の態度を責める気にはなれない。後世の人間がよく考えて、読めばいいのである。
道長の娘・彰子に仕えたのが56番の和泉式部、57番の紫式部、この59番の赤染衛門、61番の伊勢大輔で、さらに馬内侍(めのないし)と言う人を入れて「五歌仙」とも呼ぶ。オールジャパン最強メンバーで、「和歌のワールドカップ」があれば圧勝・瞬殺は間違いなしだ。