「院」とは上皇のこと

瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ

[現代和訳]
岩にせき止められた急流が分かれても、またひとつになるように、わたし達の間も、将来必ず結ばれると信じています。

[作者生没年・出典]
生年 1119年 没年1164年 詞花集 巻七 恋上 228

[人物紹介と歴史的背景]
この歌自体は、崇徳上皇を愛し、彼を生涯ささえ続けた「阿波内侍」にあてたものと考えられている。「上皇」とは「天皇の座を退いた人」で、上皇が出家すると「法皇」と呼ばれる。

崇徳天皇は第75代天皇だ。天皇としての実績より、死んでから「怨霊」となって、日本を動かしたことでは超有名な人物。しかし現代の日本人は知らなさすぎるので、ここで少し長くなるが紹介する。

ご本人の責任ではないが、そもそも出生からして…

当時の天皇は系図上では、父親は鳥羽天皇であったが、その父 白川法皇(崇徳院にとっては系図上では祖父)が、すでにお腹に崇徳院がおられた女御を、孫の鳥羽天皇の中宮に押し付けた、という噂だ。

鳥羽天皇は生まれてきた崇徳院を、祖父の子だから自分にとっては叔父さんになるので「叔父子(おじご)」と呼び、遠ざけていた。

しかし「押しつけ」中宮になったその女御=後に待賢門院(たいけんもんいん)と呼ばれるその女性は大変魅力的で、しかもまだ十分若かったので、祖父の元 愛人にもかかわらず、ちゃっかりと男子(後の後白河天皇=崇徳天皇にとっては血のつながった異父弟になる)をもうけていた。

鳥羽院は、また別の愛人であった女御=後に美福門院と呼ばれる女性との間にも、もう一人の男子(後の近衛天皇=形式的には崇徳天皇の弟になる)をも、もうけていた。

どこかの財閥ぐらいだとありそうな話ではあるし、手塚治虫とか、横溝正史の世界みたいで、こういう乱れた人倫状態が「保元の乱」の遠い原因だ。

天皇にはなったが…

立場上は父であった鳥羽天皇は、退位して上皇となり、崇徳院は1123年に第75代天皇になった。1129年に政治を取り仕切っていた、祖父の白河法皇が亡くなると、鳥羽上皇は政治の実権を受け継ぎ、院政を開始する。これでは崇徳天皇は出番がない。現実逃避も兼ねてだろうか、彼は和歌を熱心に学ぶようになり、才能があったので名歌をたくさん作り、勅撰和歌集には77首入選していて、中古三十六歌仙の一人でもある。

1142年に鳥羽上皇は崇徳天皇に退位をせまり、美福門院に産ませた3才の息子を即位させて第77代 近衛天皇にした。ほぼ同時に鳥羽上皇は出家して鳥羽法皇となる。崇徳院は上皇になっていたが、近衛天皇は形式的には「弟」だったから、院政はできない。将来を半分あきらめていた崇徳上皇は、さらに歌の道に邁進し、勅撰和歌集としては6番目にあたる「詞花和歌集=詞花集」の編集を1144年に命じる。ただし彼はその完成とほぼ同時に、波乱万丈の人生の波に呑みこまれていく。

そして保元の乱へ…

1155年に病弱だった近衛天皇が崩御すると、次の天皇には鳥羽法皇が祖父の元愛人である待賢門院に産ませた皇子が、皇太子になることもなく即位して、第78代 後白川天皇になる。後白河天皇は、鎌倉幕府を開いた源頼朝に「天下一の大天狗」と評された、権謀術数に長けた人物とされている。もっとも単なる享楽者ではないか、という説もある。

完全に道を断たれた崇徳上皇は、1156年に鳥羽法皇が死去すると、後白河天皇派の藤原忠通に不満を持っていた忠通の弟 頼長を誘い、「保元の乱」を起こすが、あっさりと鎮圧される。

崇徳天皇怨霊イメージ乱後、崇徳上皇は今の香川県に配流される。ここからは少し伝説になるが、配流地で反省した証拠としてお経を写し、それを都に届けてもらうが、当時もう法皇になっていた異父弟 後白河法皇らは「呪っているのだろう」と受け取ってくれなかった。激怒した崇徳上皇は「我は冥界で日本国の大魔王になり、皇(すめらぎ)をもって民(たみ)とし、民をもって皇とする」、つまり身分の上下をひっくりかえしてやる~と宣言した。さらに今度は自分の血で写経して、1164年に配流地で憤死したという。。

貴族の没落から「武者の世に」なる

その後の藤原氏の没落と1170年代の平氏政権の成立、1185年壇ノ浦での平氏の滅亡、1192年の鎌倉幕府の設立、最後は1221年の承久の乱の敗北で、後白河法皇の孫にあたる後鳥羽上皇の配流などの、天皇家の権威失墜と、「人」扱いされていなかった武士たちが、事実上の政権運営をし、幕府を作り自治をして、最後は天皇配流まで決定した。このあわただしい時代の動きから、世の中は「約50年で崇徳院の呪いが成就した」と思った。

今、崇徳院は、京都府京都市上京区にある白峯神宮に祀られている。明治維新の直前の1868年に当時皇太子だった明治天皇が直接に、香川県から崇徳上皇の霊を招き、京都に移っていただいたからだ。維新に楯突く、幕府の残党や、東北の諸藩に崇徳院が味方したら絶対に負ける、と明治政府が考えたからだ。これぐらい恐れられた天皇様なのである。

蒼夜叉降魔王実は私自身も崇徳院にはなじみがなかった。この人のことを知ったのは、高橋克彦氏の「蒼夜叉」と「降魔王」を読んだからだ。一度お手に取ってみてはいかがですか? この小説の中では、なんと崇徳院は宇宙生物の体を逆に乗っ取り、ほぼ「不老不死」になって、なんだかんだ言いながら、日本を救う「ヒーロー」になっているんです。