悲しみが深すぎて、さすがの伯爵=エドモン・ダンテスでも無理だった
せめてメルセデスを言葉で救いたかった伯爵=エドモン・ダンテスだが、彼女の論理には太刀打ちできず、あきらめて、生まれ育った町の、港へ向かう石畳を一人寂しく歩きながら、彼女の元を去っていく。映画なら、伯爵が一人歩くこのシーンに、子供時代の伯爵とメルセデスを登場させて、仲良く追いかけっこをしているシーンを、合成で挿入してみたいぐらいだ。
ただ深読みすると、決闘が取りやめになった後や、アルベールが志願してのアフリカ行きを決めたことに対する、伯爵のアルベールに対する言葉からは、伯爵自身もアルベールの事をかなり気に入っていた節がうかがえる。
前にも言ったが、アルベールを憎きフェルナンの息子というより、愛していたメルセデスの息子として見る面が強く、もしかすると、自分とメルセデスの間にできていたかもしれない息子、と仮想していたのではないだろうか。息子は母に似て、娘は父に似る傾向が強いからだ。
若きエドモン・ダンテスは屈託のない笑顔が魅力的で、人を疑うことを知らず、そこにつけこまれて大災厄に遭遇したのだが、やはり伯爵の事を掛け値なしで信じていたお坊ちゃんのアルベールとどこか重なるように感じるのは、私だけだろうか。
マルセイユでは色々なことが同時進行なので読者は大変
実は伯爵=エドモン・ダンテスがマルセイユに来るまで、ほぼ同時進行で色々なことが起きている。紹介済みなのは、ベネデイットの逃亡と逮捕・投獄と裁判、ビルフォール夫人エロイーズのヴァランティーヌ殺害未遂事件と夫人自身の自殺、それにつながるビルフォールの息子のエドワールの死、ビルフォール自身の発狂などなどのビルフォール家の崩壊。
さらに、エデの告発からフェルナンの自殺、そしてメルセデスとアルベールが家を出てしまい、アルベールが陸軍に入隊しアフリカ行きが決まるなどなどの、モルセール家の崩壊も紹介した。つまりは死屍累々の状況だ。今のところ安泰なのはマクシミリアン・モレル家だけだが、それはこれから紹介する。
最愛のヴァランティーヌを失った(と思っている)マクシミリアンの傷心を慰撫するためなどなど、色々なことが重なって、伯爵=エドモン・ダンテスはここマルセイユに滞在しているのである。
なるべくわかりやすく紹介するためにトピックを絞っているのだが、これを実際の原作小説を読むとなったら、中々大変だ。読者はあっちに行かされ、こっちに戻され、ここにいたるまで色々な事件が同時多発・同時進行しているから、読書に慣れていない人は、頭がぐるぐるするのではないか。実際私もそうだった。しかしも文豪はそんなことお構いなく話を進めるから困ったものだ。
しかしほとんどの評論家や小説家などは「そここそがこの『モンテ・クリスト伯』の醍醐味で、道草が楽しい」と言い切るぐらいだ。そして私もそう思う。心に余裕がないと読めないかもしれない。そしてすぐ理解して、すぐに役に立てようとする気持ちでは、うまく行かないだろう。What comes easily goes fast.(簡単に入ってくるものは素早く出ていく)のことわざ通りだ。
現代では本を売るために如何にわかりやすく読者に訴えるか、という技術が磨かれているが、そういうことはあまり考えずに、楽しむことができればいいな、と思っている。
そしていよいよダングラールの番だ。
もうちょっと続く。