その赤ん坊は成長して犯罪者になってしまう
その遺棄された男児は、先のブログ記事で紹介したように、今は伯爵の家令を勤めるベルツッチオに救われ、彼は赤ん坊を義姉に託し、イタリア語で 「神に祝福された者」の意味を持つ「べネディット」と名づけられた。そのべネディット君は完全に「名前負け」して、見事にねじまがった人間として育ち、犯罪者になり、贋金は作るは、傷害は起こすは、あげくに殺人をやり、とんでもない経歴を重ね、人に迷惑ばっかりかける人生を送る。確かに出生が出生だし、実の家族でないこともある。しかし彼の父親であるビルフォールだって似たような、否、それ以上に凶悪だ。
表面は厳格・公正無比な検事総長だが、生まれたわが子を生き埋めにするは、自分の子を産んでくれた女性を捨てるは、家名を守るため無実無罪のエドモン・ダンテスをイフ城に監禁する決定を下し、その後は14年も放置するはで、とんでもない人間が権力者側にいたわけだ。
一概に遺伝子のせいとは言えないが
人は両親2人の遺伝子だけでできているのではない。その両親には2人ずつ親がいる。そしてその親にも2人づつの親がいて…で、1人の人間についてΣ2のn乗の総和の人間の遺伝子が乗っかっている。
その中には、高貴な身分の人もいたかもしれないが、物もらいをやっていた人もいたかもしれないし、お坊さんをしていた人もいれば、もしかすると人殺しをした人もいたかもしれない。
さらにその「船」には文化とか言葉とかが積み込まれていて、まさに様々な思考、行動を決定する。よって一概に「ご両親が…だから、あの子供も…」とは言えないと思う。
でも経験上申し上げると、非のないようなご両親の下で、全然勉強しない、言うことを全く聞いてくれない、夜になるとプイと無断外出するようなお子さんが育ってしまうことも見聞きしたし、そういう子が塾生だったこともあった。不思議に思って本人に質問しても、なぜ自分が親に反発するのかわからないようだ。こうなってはどうしようもない。大人になって自由に自分を処せられるようになったら、家を出て、親とかかわりのない人生を送るのが一番かもしれないな、と考えていると、実際そうしていたから。
そういう場合でも、親を非難するのだろうか、と疑問に思った。だから「さわらぬ神に祟りなし=非難もしないかわりに協力もしない」という趣旨の、ある意味冷たい意見には賛成したくなる。
ビルフォールの手元で育ててもだめだったかも
さて、こう見てくると、ベネディットは冷酷な遺伝子をまさにビルフォールから受け継いだとしか思えない。ここで少し疑問になるのが、もしビルフォールがベネディットを手元で育てていたら、ベネディットはまともな人間に育っていただろうか? だ。
これに対しても文豪・大デュマは、「小ベネディット」でも言うべき、ビルフォールと現夫人との間できたエドワードという大きくなったら陰険な男になるだろうな、と思わせる好意的になれない子供を登場させて、暗に「NO」の返答にしているようだ。親の背を見て子は育つ、というがやはりビルフォールの行動や言葉の端々に反応して、エドワードは育ってしまったのだろう。本当に子育ては難しい。
ここまでで十分「お腹いっぱい」なのだが、ところが、また問題が生じる。ビルフォールが「結婚前に付き合っていたオートイユに住んでいた恋人」というのが、ダングラールの現夫人だから、話はややこしい。つまりダングラール夫妻の間にいる今の娘ジェニーと、その遺棄された男児、成長して見事に犯罪者となったベネディットとは、異父兄妹ということになる。しかもその2人の間には、結婚の話も飛び出すという、とんでもないことも起きる。ほとんど横溝正史の世界である。時代的に言うと、逆かな?
まだ続く。