次に伯爵はダングラールと知り合いになる

さてシャンゼリゼに居を構えた伯爵は、彼のポケット代わりにするために銀行家のダングラールと知り合いになり、彼と「無制限貸付」の契約を結び、700万フランを「とりあえず」預ける。これだけでダングラーの「持ち財産」は3倍以上になる(あくまで推定)。もちろんダングラールもモンテ・クリスト伯がエドモン・ダンテスであるとは全然わからない。

伯爵は、気が大きくなった彼が、大きな取引に手を出すように大金を預け、「経済戦」を仕掛けたのである。そして「毒の一口目は甘い」のことわざ通りになっていく。まずダングラールが外国債に手を出し、少し利益を得たところで、通信を担当している係のものを買収して、情報が届くのを故意に遅らせ、大損をさせる。さらに次々と罠をしかけ、最終的には、彼の持ち財産が700万フランになったところを見越して、預金をすべて解約してしまう作戦だ。

またジェニーという、全く彼に似ない芸術家の娘がダングラールにいるのを見越して同時に「政略結婚」を仕向ける。ただし本当に結婚させるのではなく、寸前のところで破談にさせ、娘が親を捨てて逃げるようにする。そのお相手は先のブログ記事でも紹介したが、ビルフォールの捨て子であり、犯罪者に成り下がった、例のベネディットだ。

ベネディットと「貴族」として売り出す

伯爵は、ベネディットと同様に詐欺をして生きてきた別の男を選び、それなりの家系と財産を持つ子孫として仕立て上げ、その息子と言う触れ込みで、ベネディットを売り出したのである。もちろん財産は「貸して」与えているだけだ。財政的に苦しくなってきたダングラールがこの話に飛びつくよう、「外堀」である夫人からうまく攻めたのである。

またこのダングラール夫人・元ビルフォールの恋人というお方がやはり「金の亡者」で、夫が株取引で失敗しているのに、それを助けないで自分だけ富をかき集めると言う似た者夫婦でもあった。しかし遺棄した男児の事はトラウマになっていて、気になって気になって仕方がない、というところもある。

つまり補償行為というもので、失くしたモノ=見捨てられた男児の代わりに、無理にでも得るモノ=お金を集めることで、なんとか精神を成り立たせている可哀想な女性でもある。もちろん誰も同情はしないけれど。

ここまでたくさんの登場人物が出てきて、普通は頭が混乱する読者も多い。しかし舞台が整ったので、いよいよ伯爵の復讐は始まる。

で、その第1番めが、カドルッススというケチな宿屋の親父だ。誰、それは?と思うであろうが、実は私も忘れていたぐらいの小物だ。この人物は物語の最初の最初に登場し、その後、途中途中に出現するので、はっきり言って影が薄い。しかし文豪はきちんと後始末をする。

なぜ欧米は長編小説が多いのか

ちょっと話は逸れるが、欧米の文学作品はとにかく長編小説が多い。それも大長編小説ばかりだ。トルストイ、ドストエフスキー、スタンダール、ヘミングウェイ、ルイス・キャロルなど目白押しだ。しかし日本のものはとなると、ちょっと少ない。もちろん「世界対日本」だから人口比が全く違うので、その点は割り引いて考えないといけないが、これが「フランス対日本」「アメリカ対日本」「ロシア対日本」とかで二国間の競争にしても、やっぱり日本の方が、少ない感じがする。特に個人が1人で書いたものになると、やはり日本は分が悪い。

色々原因はあるだろう。面白い主張には、ある研究者によると「結局は、個人のもつ固有の体力と執念」の差ではないか、とのことだ。最近の日本人はスポーツの世界大会でも優勝するぐらいになってきたから、これからもっと長編小説を書けるぐらいの体力を持てるようになってもらいたいものだ。ただし読むほうが体力と時間を必要とするだろうけど。

まだ続く。