西洋人の信仰心の強さに驚いた
この小説を読んで、ストーリーを楽しんだだけでなく、私が学んだことは数多いが、その中で絶対にあげなければいけないのが、西洋の人たちの信仰心の強さだ。これだけは日本人が意識して考えなければいけない部分だ。高校生だった私も、この小説を読んだことでかなり考える機会を得た、と思う。
幸い私は祖母が信心深い人だったから、ある程度は納得したが、宗教と言えばオウムぐらいしか思い浮かばない現代の若者や人々にはわからない、いや感じ取れないかもしれない。
日本人の神は自然
昔から、日本人は大自然の驚異・脅威を神としてきた。絶対的存在というより、おっかないお母さんである。
色々なものを与えてくれるが、時々災害を起こして人命を要求する、ヒステリーお母さんみたいなところがある。なだめるために昔は「祈り」をささげ、それが行き過ぎると「生贄」「人身御供」を差し出し、なんとか自然現象の予知に力を注いだ。ただしあまり科学的ではない方法で、だ。当時はこれですばらしく「科学的」だからそれこそ仕方がない。なんとか対応しようとしているから、すごいと思う。
現代でも、いくら科学が進歩しても地震を抑え込んだり、スーパー台風を消滅させることなどできるわけがない。地震の被害に遭わないためにはラピュタみたいに空中に都市が存在するか、スーパー台風から逃げるためには、ひょっこりヒョウタン島のように日本列島が「動く」ことぐらいしか方法がない。
もし物理的に地震やスーパー台風を消滅させる方法なら、仮にできたとしても、その反作用の方が私は怖い。
良寛和尚は「災難に遭う時は、災難に遭えばよろしい」と言ったが、至言だ。現代日本人が科学万能の麻薬に酔い、この視点を忘れていて、神を超えることを平気で考えているから、余計メルセデスの言葉がピンとこないのでは、と思っている。
復讐ストーリーだけど報いを受けるのは当事者だけ
本当に誰か、原作に忠実に映画化してくれないか?「小公子」「小公女」を書いたバーネットの「秘密の花園」を、「ゴッドファーザー」を製作したフランシス・フォード・コッポラが映画化したが、あれは良かった。だがこの原作は少しきつすぎるし、世界中にファンが多すぎて、無理かもしれない。
最初に「最後が爽やかだった」と書いたが、なんとなくでもおわかりいただけただろうか。大変まずい紹介の仕方で申し訳なかった。また今ここでお詫びと言うか、言い訳というか、なるべく原作の翻訳に正確に述べようと思ったのだが、それだと著作権問題に触れてしまうので、こちらが意図的にずらした部分が多かった。そのため良いセリフのインパクトがなくなってしまったかもしれず、こちらの力不足を露呈してしまったようだ。
普通、こういう復讐ストーリーは血みどろで、凄惨で、どろどろしたものになってしまいがちだ。しかし伯爵=エドモン・ダンテスは自分を地獄に落とした輩を全員地獄送りにしたのだが、ビルフォールの息子エドワール以外はすべて当事者だけだった。子孫はなんとか残したのである。それは、仏教的に言うなら、彼らの菩提を弔うためになった。そこが「爽やかだった」のだ。
だからこそ世界に残る名作となったのであろうか、と私は考えている。皆さんにも、ぜひ一度岩波文庫1~7を読んでみて欲しいと思っている。