言わずとしれた「枕草子」の作者

夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

[現代和訳]
夜の明けないうちに、偽の鶏の鳴き声でだまそうとしても、あの中国の函谷関ならいざ知らず、あなたとわたしの間にある「逢坂(おおさか)の関」は、決して開くことはありませんよーだ。

[作者生没年・出典]
生没年不明 後撰集 巻十六 雑二 940 中古三十六歌仙の一人

42番で紹介した清原元輔の娘で、36番清原深養父のひ孫。「中の関白家」藤原道隆の娘で、一条天皇の最初の中宮 定子に仕えた人だ。

[人物紹介と歴史的背景]
この歌は51番で紹介した藤原実方とけんかになった(とされている)藤原行成が、部屋に遊びに来た時のやりとりから生まれた歌で、中国の戦国時代に斉の国の宰相・孟嘗君が、秦から脱出する時の故事「鶏鳴」にならった。

行成も清少納言と仲が良く「彼女はこんなに鋭いぞ」と、宣伝する役を自分から果たしている。詳しくは「枕草子 一三一段」を読もう。

定子が死去した後は行方不明に、しかし今でも…

清少納言は定子が死去してから、消えるようにこの世から姿を消した。そこに不思議さを感じるのか、彼女を主役にした作品が、現代で色々生み出されている。その中で、森谷明子氏の「七姫幻想」に収録されている「朝顔斎王」では、ちょっと忍者的なスーパーお婆さんとして、描かれているのが印象深い。漫画ならくずしろ作「姫のためなら死ねる」が面白いかもしれない。

色々な分野で、1000年以上たった今でも取り上げられているので、ある意味「不死の存在」になっていることは確かだ。

左京大夫道雅 (さきょうだいふ みちまさ)

今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな

[現代和訳]
今はもう、あなたのことは「きっぱりとあきらめる」と決めましたが、そのことだけを、直接に伝える方法があればいいのになあ。

[作者生没年・出典]
生年 993年 没年1054年 後拾遺集 巻十三 恋三 750

[人物紹介と歴史的背景]
本名は藤原道雅。54番で紹介した儀同三司母の孫で、父親は配流になった息子の伊周。つまり中宮だった定子の甥で、関白 道隆の孫だ。彼は18才の時に父 伊周を亡くし、主流派の大叔父 道長にも睨まれていたこともあって、完全に孤立していた。

そのため振る舞いに「やけっぱち」なところがあって、避けている人が多かった。そんな彼が68番で紹介する予定の三条天皇の娘に恋をして、通ってくるようになった。道長に無理やり退位させられた三条天皇は、これ以上のトラブルを避けたかったので、娘を別の場所に移してしまった。道雅はさらにやけになり、人は彼を従三位だったから「荒三位(こうさんみ)」と呼び、余計に彼は孤立した。この歌は三条天皇の娘への別れの歌だという。