権中納言定頼 (ごんちゅうなごん さだより)
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木
[現代和訳]
しらじらと夜が明けるころ、宇治川に立ちこめた川霧が途切れ途切れに晴れ、網代木が次第にあらわれてくる景色は、何とも情緒のある光景だ。
[作者生没年・出典]
生年 995年 没年1045年 千載集 巻六 冬419 中古三十六歌仙の一人
[人物紹介と歴史的背景]
本名は藤原定頼。55番で紹介した藤原公任の息子。書道家でもあった。彼自身も才能ある人だったが、60番で紹介した小式部内侍とのやりとりで「内侍にやりこめられた人」という方が有名になってしまった。
この歌は「源氏物語」の「宇治十帖」を思い出すように作っている。元々百人一首そのものが、源氏物語を下敷きに「王朝の滅び」をテーマにしていることから「源氏つながり」の歌が多いのは仕方がないかもしれない。
相模 (さがみ)
恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
[現代和訳]
無情や冷たさを恨み、流す涙でかわくひまさえもない袖でさえぼろぼろになっているのに、こ の恋のためにわたしの名が朽ちてしまうのは、悔しくてたまりません。
[作者生没年・出典]
生年 996年 没年不明 後拾遺集 巻十四 恋四 815 中古三十六歌仙の一人
[人物紹介と歴史的背景]
勅撰和歌集に108首入選しているが、本名は不明。夫の官名で呼ばれている。53番の道綱母で紹介した、太政大臣に上り詰めた藤原兼家の家人で、「大江山の酒呑童子退治」をやった源頼光の娘でもある。源頼光を義理の父親にすることになるから、彼女をくどく場合は、命がけかも。
前大僧正行尊 (さきのだいしょうじょう ぎょうそん)
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
[現代和訳]
お互いに懐かしもうではないか、山桜よ。まるで旧友に会えた気がする。こんな山奥の中では、おまえの他に、私を知っている人など誰もいないのだから。
[作者生没年・出典]
生年1055年 没年1135年 金葉集 巻九 雑上 556
[人物紹介と歴史的背景]
68番で紹介する三条天皇のひ孫にあたる。修験道の修行のために入山している時に、思いがけなく山桜を見つけて、まるで古い友達に会ったような気がしたことを詠んだ歌。山にはあまり桜がなく、都にはたくさんあったからだろう。この山桜は今でも生きている。私もこの歌は素直に好きになれた。
12才で出家し、20才前にはもう各地の各山に、修行の旅に出た。強烈な法力の持ち主で、加持祈祷を行うと霊験アラタカで、「無双」とまで呼ばれた。天台宗 比叡山延暦寺のトップNo.1である「天台座主大僧正」を務めた偉いお坊さん。ちょっと怖そう。
周防内侍(すおうのないし)
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそをしけれ
[現代和訳]
春の夜のはかない夢のように、あなたの腕(=「かいな」と読む。ちなみに昔は腕力のことを「かいなぢから」と言った)を枕にしたりして、それが原因で噂が立ったら、残念ですから。
[作者生没年・出典]
生没年不明 千載集 巻十六 雑上 961
[人物紹介と歴史的背景]
本名は平仲子で、父親の官名と4代の天皇に渡って、内侍を務めていたから、こう呼ばれた。
関白邸である二条院で、夜通しおしゃべりをしていて、眠くなった内侍が「枕が欲しい」と言った時に、藤原忠家が「私の腕を貸しましょう」と腕=かいなを差し出したのに返した「とんち」の歌。忠家は藤原定家の曽祖父になる。