キリスト教を広めるための恐怖政治

こんなことを言うと、真面目な信仰者に怒られそうだが、私にはキリスト教自体が、なんだか人工的な作りをしている感じがするので、宗教的支配を強めるには、予言の的中と信じないと大変なことになるぞ、という脅かし=恐怖が効果的だったと邪推している。同時に民衆に「信じると得になるぞ」という宣伝=プロパガンダでもあった。

この場合、予言の的中とは「Aは魔女でそのうちに神から罰が下る=死亡する」という風説の流布をした後、実際にAは逮捕・捕縛され、(拷問により)「自白」し、財産を没収され、結果処刑される。

もちろん「魔女」の恐ろしさを一般的に教えるために、当時の主要メディアである、芝居を打つ、役者や吟遊詩人とかなども大いに利用した、とこの本は喝破している。現代でもメディア・ジャックは有意義なプロパガンダ方法なのは、ナチス政権でも、コロナ騒ぎでも同じだ。そして「無知」な民衆に恐怖とおぞましさを刷り込み、密告を簡単にできる下地も作っておく。

この場合没収されるものは具体的な財貨もあるだろうが、恐らく情報がもっと大切だったのだ。情報とは医学、薬学、そして人脈だったのではないか?犯罪者を摘発して後、仲間などを芋ずる式に逮捕していくのは現代でもよくある手法だからだ。

情報の独占

人間の肌の色はともかく、体の構造はどこでもそんなに変化はないだろうが、薬学はその土地に生息する薬草の知識が絶対に必要だ。そして傷病の治療方法や、酒類や、極端だが、森林に生える、きのこなどの菌類を利用した麻薬の製造方法の知識などもあったのではないか?

病人が「助けてください」とやってきたときに、痛みを抑えることができて、たちどころに治療できれば「すご~い」となって良い宣伝になるが、それらを独占していたのは、土地にいる医者・薬屋、あるいは産婆さんたちで、自分たちの死活問題にもなるから、外からやってきたキリスト教関係者に漏らすことは、まずありえない。

あるいは金銀銅鉄の鉱山、そして家畜の飼育に欠かせないが、内陸のヨーロッパでは中々手には入らない、貴重品である塩を生む、岩塩山などの資金源もあったはずだ。「魔女Aさん」から、それらをたどって、キリスト教関係者は富を収奪していき、同時に、さらに「魔女だ」と決め付けてAさんの仲間=手足になる人たちを狩っていったのだろう。

だからターゲットを医者・薬屋、産婆の中にいる「Aさん」として特定し、保有する財貨・情報・人脈を手に入れるために強権を発動したのだろう。そして無実のAさんが逮捕・連行される時に反撃もできないように軍事・警察力も備えておく。白川法皇は「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ我が心にかなはぬもの」と、嘆かれたのと同じで、比叡山の僧兵も「暴力装置を伴う軍事・警察力」だったが、宗教組織は、どこでも同じと言える。

完全な恐怖政治だ。そして「魔女だ」という、犯罪でもなんでもない言いがかりで拷問にかけ、情報のありかを自白させる。その後は、死人に口なし、だから本当は何が狙いだったのかわかるはずもない。残るのは、おどろおどろしい宗教的恐怖だけ、となる。

なんだかミもフタもない感想だが、キリスト教が完全に信じることができる愛と平和の宗教であるなら、二重構造にはならないはず、宗教に名を借りた強奪行為だった、という民族的な記憶が残っているから、実は心から信じていないのではないか、と結論をつけた次第だ。

まあ私の結論は、単純な与太話には違いない。