ビルフォール独特の論理
それを部屋から離れたところで見ていたエロイーズは、自分が致命的な失敗をしたか、あるいは何者かの罠に落ちたことを知った。この時代、まだ指紋は犯罪捜査のファクターにはなっていなかったが、家宅捜索されてしまえば、自分の部屋から毒薬や調合のメモが出て来るのは、時間の問題だ。また彼女は夫のビルフォールに疑われてはいるが『ビルフォール独特の論理』で、自分が罪から逃れていることも知っていた。しかしそれももう終わりだとわかった。
ビルフォールは実は犯人がわかっていて、「検事総長たる私の身近にそんなこと=殺人が起きるわけがない」と思い込もうとして、自分を騙していたのだ。これが『ビルフォール独特の論理』である。わかっていて見逃すより、もっと悪質で変態的と言える。
外では、不吉な予感に襲われて朝早くからビルフォール家の前にいたマクシミリアンがこの騒ぎに遭遇する。しかし大騒ぎのため、ヴァランティーヌの部屋にまで行けなかったので、勝手知ったる他人の家とばかり、ノワルエティ老将軍の部屋を直接訪れ、ヴァランティーヌの部屋にまで、車椅子ごと連れて行く。
またブゾーニ神父登場
老将軍は委細をマクシミリアンから教えらえれていたため「私にはわかっているぞ」の目で息子のビルフォールを睨むし、主治医ももうこれ以上は黙っていられない、司直に訴えると主張し、ヴァランティーヌの恋人だという(原作にはないが、これについてはノワルエティ老将軍が目で「その通りだ」と肯定してくれたと思われる)マクシミリアンからの懇願もあり、ビルフォールはとうとう観念する。つまりエロイーズを逮捕することだ。必ず犯人を捕らえる、と約束して、主治医とマクシミリアンにはなんとか引き取ってもらった。
そこへ「ブゾーニ神父がお見えです」と、まだ逃げていなかった召使が、初老のイタリア人の神父を連れて来る。ビルフォールはそれ誰?と思ったが、最近隣に越してきたものだが、お宅の家人から大切なお嬢様が今朝突然亡くなったと連絡を受けて、祈りをささげるために来た、とイタリア語訛りのフランス語で神父は話す。
ビルフォールはえらく手回しがいいなとは思ったが、神父はお嬢様のご遺体の保全と、体が不自由だと聞く老将軍のお世話も同時にしましょう、看護の方法も知っております、と申し出てくれたので、渡りに船の気持ちで、彼の好意に乗っかることにした。彼はこの後すぐにベネディットの裁判用冒頭陳述書を書かなければならなかったからだ。
しかしノワルエティ老将軍は極めて興味深そうにそのイタリア人の神父を見つめていた。ブゾーニ神父は老将軍をじっと見つめ、うやうやしく一礼した後、召使、メイド、そしてビルフォールまでも追い出す形で、ヴァランティーヌの遺体と老将軍を、彼女の部屋に閉じ込めるように、自分も中に入ってドアの外を左右に見やると、静かに内側から鍵をかけてしまったのである。
まだ続く。