「敵を知り、己を知り」ながら、反撃の機会と力を蓄える

スターリンはジューコフ将軍やティモシェンコ将軍などに命じて、ドイツ軍の戦車の弱点を知るために鹵獲(戦場で捕獲したこと)したタイガー戦車を徹底的に解体・研究して、「横」は強いが、「上」の構造が甘いことを突き止めた。同時にガソリン消費量と移動距離も計算した。

この後の将軍たちの作戦は、ソ連戦車部隊を囮にして、ドイツ戦車部隊を狭い場所に誘い込むこと。その後、上空で待機していた飛行機からの爆撃や、測量数値を受け取った大砲部隊、ロケット砲などで砲撃して、タイガー戦車の破壊に成功するようになった。ただし味方がいても、玉石混交の如く、諸共に打つから、砲撃が始まるとソ連戦車は逃げるのに必死だったという。

重砲部隊は戦車の砲撃の届かないところに待機していて、飛行機からの情報に従い、最大角度で打ち上げ、弾がそれこそ「真上」からタイガー戦車目がけて落ちてくるように打つわけだ。これではいくら無敵のタイガー戦車でも「上」が弱いから堪ったものではないし、仮に直撃を免れても、履帯=キャタピラなどが破損してしまえば、後はタダの「鉄の固まり」に過ぎない。また燃料切れで立ち往生する場合も増えた。

外部の力も借りていい

アメリカから受け取ったトラックは、物資や兵員の輸送に使うだけではなく、ロケット砲をトラックの上に固定して乗せて、機動力を上げておいた。前回紹介した「スターリンのオルガンことカチューシャ・ミサイル砲」のことだ。なんでも組みあわせる工夫が大切で、一次関数と図形、漸化式と確率の融合問題みたいなものかもしれない。これが将来、イラン・イラク戦争で「標準装備化」される「スカッドBミサイル」の原形になるし、今現在のミサイルの原形でもある。日本は当時、技術力では完全に劣っていたのがわかる。

味方ごと打つのは無理無道というものだが、いくらでも兵員の補給はきく「人命無視」のソ連軍だから取れる作戦でもあった。中国でも同じだ。こんな国を相手に戦争しては絶対にだめですな。

時には外部から「援助」を得ることも重要だ。これは家庭教師・個別指導・塾などにも救援を求めることと同じだ。面倒だと思っていると、もっと面倒なことになる。

「乱戦」に持ち込むことが、勉強では大切。「乱戦」から得る知識ほど貴重なものはない。

教科書の知識だけでは、受験レベルの問題は解答できない。だから少しでも手ごたえのあった問題パターンは、受験問題を引っ張りだしてきて、それこそ、がむしゃらに立ち向かうことが要求される。その時、できない問題パターンに、とにかく立ち向う勇気と執念が必要だ。問題の「突破孔」は案外、簡単なところにあったりするのも面白い。

こうやって「乱戦」に持ち込まれ、停滞してしまったドイツ軍に対して(ドイツ軍もところどころは善戦していたが)、今度ソ連軍は、航空機からの戦略爆撃に切り替え、補給路を断つ作戦に出た。まともな戦車どうしのぶつかり合いでは、まだ勝ち目がないからだ。

ただし「戦略爆撃」と言っても、精密なモノではなく、往復のできない離れた物資集積地を攻撃した後は、そのまま別の着陸できるところに降りて、そこで燃料を補給して迂回して帰ってくるという、アバウトなものだったと思われる。この方法は書いてなかったから推測だ。だが、国土が広くて人数も多いと、こんなことも十分可能だから、絶対あったと思う。

とにかく、航続距離ぎりぎりのところにあるドイツ軍物資集積所でも、破壊を徹底して、繰り返しやってのけたのは事実だ。飛行機もたくさん作った。1942年の1年間だけで2万機を超える軍用機を生産したというから、びっくりである。

アメリカに負けないぐらいの「航空機大国」だったのだ。ちなみに「ノルマ」という言葉はロシア語で、当時の軍需工場の労働者に課せられた生産量のことだった、と豆知識も、おひとついかがでしょうか? 実は私も忘れていました (^^;)

どんどん問題を解くことが「補給」

ドイツ軍もソ連軍の補給基地を攻撃しようとはしたが、ソ連軍は兵器工場から食糧生産工場まで、ほとんどすべてを、ドイツ軍航空機の航続距離をはるかに超えたウラル山脈の東側まで、開戦初期に移動させてしまっていたから、ドイツ空軍 栄光あるルフトバッフェも手も足も出なかったという、オチまで付いている。届かなければそのシュートは絶対に入りません。ここのところは飯山 幸伸氏の「ソビエト航空戦」に詳しい。

次第に先細りになっていくドイツ軍は、折角占領した大都市への補給も断たれ、撤退し、3年後にはソ連軍は、新型の戦車などを多数揃えた「新ソ連軍」に進化して、その得意戦法「逆襲の大打撃」を受けて、ついにソ連領土内から、追い払われてしまった。まさに「元の木阿弥」である。

どんなに勇猛・優秀な軍隊でも「食糧と燃料と武器の補給」が無ければ、戦うことはできなくなる。これまた勉強でも同じで、いくら重要なものでも、人間である限り、どうしても忘れてしまうから、忘れないうちに「問題を補給」して継続的に解くということをしなければ、「ガス欠」でアウトになってしまう。

戦争は愚かな行為、しかしそれから学ばないのはもっと愚かではないか?

ソ連軍の粘り強さと泥臭さと、そして勝つためには味方に対してまでの残酷さが混じった「反撃戦」を振り返ってみたが、勉強で行き詰まっている人たちはこの「粘り強さ」と「泥臭さ」、できれば「残酷さ」までを見習うべきではないだろうか。

戦争ほど愚かな行為はないだろう。しかしその愚かな行為から学ばないのは、もっと愚かな行為と言える。しっかりと目を離さないことが一番大切だろうな、と結論付けたい。