独ソ戦は、ヒトラーの「東方植民地構想」が原因

つまり今のウクライナやベラルーシなどの穀倉地帯を確保することで、対イギリス戦争が膠着状態に陥っている間に、戦争を継続できる能力を手に入れようという話だ。食糧の確保自体には「戦略的に正しい」のでドイツの軍部も賛成していた。そしてスターリンの「大粛清」によって軍の幹部がかなり処刑や追放されていて、ソ連軍=赤軍は弱体化している情報も得ていた。そこで1941年6月、不可侵条約を破棄して対ソ連戦を開戦する。

ドイツ国民は「優秀」それ以外は「劣等」という思想

次に思想的にも、当時のドイツは「ドイツ人は偉大」でそれ以外は「劣等」で、「敵」とみなしたものは「世界観戦争」で「絶滅」させるべきだ、という思想に染まっていた。なんとなく日本の「大和民族は偉大」で「日本精神」は素晴らしいというのに似ている、いやそっくりだ。狂っているとか思えないが、渦中にいたらそんなことは考えもつかないのが人間だから、日頃から注意しなければならない。

実はこれが原因で、独ソ戦は「相手を絶滅させないなら、自分たちが絶滅するまで戦争を継続する」ということなり、全ドイツ国民は途中で降伏できず、ヒトラーの自殺まで戦争は終わらなかった、ということになる。戦争は終わらせるのが難しい、と言うが、こういう「思想」が入ってくると、もっと難しくなるという例だ。

さて、それでもドイツが前半の勝利中に、優位に講和できたかもしれない「惜しい戦い」と、素人目には「?」と思えたことが1つと、「『そうだろうな』と思った1つのこと」があるので報告しようと思う。

「惜しい戦い」のポイント…補給なくして勝利なし

念のために、一言前置きしておくと、私はこの「独ソ戦史」の著者・山崎 雅弘氏のことは全く存じあげない。だからこの方がどういう思想信条の持ち主で、今後何を目指しておられるのかも、全く存じ上げない。あくまでこの本の中の文言を読んだだけの感想だ。で、いつもの職業病で「勉強に喩えると~」と考えてしまう悪い癖が出てくるのだ。

ドイツ軍にとっては不幸なことに当初予定の侵攻作戦開始時期が遅れてしまい、前半の途中で冬になってしまった。ロシアの冬は厳しい。零下20度なんて普通で、嵐になると零下30度~40度にもなる。記述には「水は言うまでもなく、バターも車体の潤滑油も凍った」とあるがまさに「極寒地獄」だ。零下になるかならないかぐらいの冬で、「寒い、寒い」と文句を言うこの緩い地方の住民である私は、1日の半分ぐらいで凍死しているだろう。ロシア戦線で生き残ったドイツ軍人が「冬季戦争従軍章」を敗戦とは言え、誇りに思う気持ちがようやっとわかった気がした。

さらに冬用装備や燃料などの補給が遅れ、ドイツ軍の各部隊は、目標寸前で停止してしまう。なぜ遅れたのだろう?

ドイツ側の補給部隊は、トラックで輸送するのではなく、ロシア内に敷設された鉄道のレールの上を、ドイツの列車を走らせて補給するつもりだった。ロシアは広いから妥当な考えだと思う。しかしレールの幅が違っていたので、ロシア領に入ったときに、結局は荷物の「積み換え再作業」に手間が取られ過ぎて、大きく遅れてしまったことが原因だったと書いてあった。

ちょっと笑ってしまったが、考えると「とんでもなく重大なミス」だ。

まだ続く。