迫害していた者が頼りになるとは…
で、解決方法を知っていそうな=読者にとっては解説役になる、唯一その砦のことを研究していたユダヤ人の教授が、ドイツ軍にベルリンから無理やり砦まで呼び出され、所有者を突き止めろ、被害を防げと命令される。しかしその邪悪な存在は、甘言を弄して、教授をナチス・ドイツ打倒の幻惑に誘い込んでしまい、それまで迫害を受けながらも立派に生きてきたユダヤ人教授は、俗世への権力欲に憑りつかれ、精神的に堕落し、自分から手先になってしまうほど、狡猾な存在として描いている。
途中から、その邪悪な存在と、それこそず~と前から戦ってきた赤毛の男が現れて対決する。その赤毛の男は教授に付き添って砦に来た娘に「植物が育つ時に空気とか光とかは見えないが、確実に存在する。人の精神も眼には見えないが、存在している。奴はそれを食べて生きている。実体が見える、見えないの問題ではないのだ」と、解説するところは、なるほど~と感心してしまった。
もう1つ感心し、関心があったところは「邪悪なものを封印する砦を、ず~とできたままの状態にしておく。十字架は古代の封印術に則って配置されているが、それが崩れた時、封印していたものが飛び出てくる」という方法だ。この箇所を読んだとき「日本にもあるぞ」と思った。「古代のまま、新しいままにしておき、その状態を保つ」方法取っている場所は伊勢神宮だ。
式年遷宮と言う方法で、20年ごとに「米の座」と「金の座」に建て替えているし、朝晩の供え物は、毎日毎日火を起こすところから始まって延々と続いている。まるで伊勢神宮にいるその存在が今でも生きているみたいに。
日本にも「昔のまま」を保っているところはある
西行法師は「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」、藤原定家は「照らすらん神路の山の朝日かげあまつ雲居をのどかなれとは」と詠んだ。
誤解のないように弁解しておくが、伊勢神宮の中にいる神様も邪悪だ、とは言っていない。おそらく庶民には無関係な存在で、時の政権にとって都合の「悪い」人物だっただけで、封印されてしまい、後ろめたいから、一生懸命にお祀りしているのだろう。私なんかはひねくれものだからそう考えてしまう。
また、昔から「斎宮」という役職で、皇室から伊勢神宮に派遣される女性はまるで「人身御供」みたいだし、伊勢神宮には「昔、伊勢の神様は蛇だった」とか、「その神様が斎宮のところに夜な夜な現れて一夜を過ごす、そしてその後にはうろこが落ちていた」、なんていう話は知っている人は知っている。どう考えても現皇室とは無関係なのに、なぜ皇室の祖先神になっているのだろう。祖先神だったら、子孫の女性=斎宮と交わったらだめではないか。
3つめはナチス・ドイツという、これまた人類史上で大きな汚点を残している存在を扱っていることだ。しかもナチスに対しての反主流派的存在を主人公級に当て、主流の代表であるSSの将校も登場させている。この図式は有名な「鷲は舞い降りた」から始まっているだろう。1980年代に出された本だが、今でも十分に面白い。1回映画になったようだが、酷評されていたので、見ていない。改めて、原作に忠実に則って誰か映像化してくれないかな。
結果、赤毛の男はその邪悪なる存在に「勝つ」のであるが、完全に滅びていないところがミソで、シリーズ中の2作めで、復活するくだりは、吸血鬼ドラキュラの復活をパクったかなと疑問には思うが、それはそれで面白かった。
B級だとけなさずに、一度お読みになってはいかがだろうか?このようにバカバカしいかもしれないが、メジャーだけでなく、マイナーな本を読んだ感想も時々、述べていきたい。