しかし機会がなかった

K君にはその疑問を解決する機会は中々来なかった。日本人の友達に訊ねても知らなかったり、大人でもそうだった。憧れて古典の解説本を買ったことはあるけど、どこから始めていいかわからず、挫折していた。

一方私は「必要な本は、必要な時が来れば、自然に目の前に現れる」と最初に述べたが、ある朝、新聞を読んでいると(当時はネットが発達していなかったし、ただの習慣として新聞を購読していた)「新書が出版されました」の広告のスペースに「QEDシリーズ 竹取伝説」があった。あ、これだ、とすぐに買い求め、読みふけった。これが1999年だったと思う。

自分が想像していたことが小説になっている、というのは奇妙な気分だった。私には作家になる能力はないので、誰かが書いてくれるのを楽しみにしている。妙な言い方だが、私が「王様」で、作家が「宮廷楽師」や「道化者」みたいなものだ。

完全にはまってしまった

高田崇史氏の他の著作は全部読み、つぎに日本民俗学に触れ、「鬼」に行きつき、そこから「鉄」に行きついて、ある程度のことはわかってきたが、まだまだで未だに止まらない。

で、半分、古典なんぞ忘れていた私自身が、数年前に基礎からやり直し、さらに発展して、日本の風習の「真」の意味まで追求していたところに、K君は入塾してきた。そんなことをウラでしていた私の前に「古典を教えてください」という、意欲のある生徒が現れたのは、偶然だろうか?どうもそうとは思えないのだ。神様が「いきなり高校の古典レベルはしんどいから、まずは高校受験で、ほら、好きにやってみろ」という感じで寄越したな、と今は考えている。

私自身が取り戻した古典文法を彼に教え、いっしょに「竹取物語」「土佐日記」などを読んで、そして一石二鳥で入試問題まで解決することになった。

同時に日本の歴史も伝えた

同時に「平安時代と藤原氏」の歴史の勉強のために、「承和の変」と藤原良房と在原兄弟との関係や惟喬親王という存在なども教えてしまった。 古文と日本史はセットだからだ。するとK君が、学校で習ってきた李氏朝鮮の宮廷内の王位争奪事件に、似たようなものがありますよ、といくつか教えてくれて、思いもかけず「国際交流」の場になり、大変面白かった。これは「歴史嫌~い」を連発する日本人の生徒が多い中で、非常に印象に残った。

難関私立高校入試で、古典の例題に「童のころから」で始まる伊勢物語の八十四段から八十五段が出ることは、頻繁にあるし、そもそも「伊勢物語」の内容ぐらいは知っていないと、偏差値65以上は狙えない。最近は「現古融合文」出題が主流になってきている。

このように厳然たる「ライン」というのは存在し、評論家さんたちの「偏差値教育が日本をゆがめて」云々というセリフは、現場を知る者には、空虚な響きしか残らないのだ。

見事に合格、そして弟君も…

私の前に現れたK君は順調に古典の勉強を進め、関学高等部に見事に合格した。大学は3年生まで関学、その後、アメリカに留学もして、今は主にカナダの会社で働いている。おかげ様で、日本の古典は大好きです、奥が深くて興味が尽きない、と言ってくれるのが嬉しい。

彼には弟がいるが、弟も兄を追いかけ、同じように努力をしてやはり関西学院高等部に合格したことから、ウチの塾の「お得意様コース」になったと言ってもよい。ただし誰にでもできる、というものではない。

また「古典の道」を切り開いたのが日本人でなかった、というのは私にとっては印象的な話だ。この在日韓国人兄弟も、「私にとってのキセキの世代」のうちの2人で、国際色豊かでいいなあ~と思っている。

実は似たような体験を、大学の時に私はしている。大学で知り合ったドイツ人の教授は、松尾芭蕉を生涯の研究対象にしていた。「君たちは、自国にすばらしい文化が眠っていることに、気がついていない」と、普通の日本人よりなめらかな日本語で、忠告を受けたことを今でも覚えている。

まだ続く