阿倍仲麻呂=仲麿(あべのなかまろ)
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
[現代和訳]
大空を振り仰いで眺めると、美しい月が出ているが、あの月は故郷の春日にある三笠山に出た月と、同じ月だろうか。
[作者生没年・出典]
701年に生まれ770年ごろに唐朝の中華帝国で没。古今集 巻九 羈旅 406
[人物紹介と歴史的背景]
遣唐使に留学生として随行し、科挙にも合格して「傾国の美女」楊貴妃との恋で有名な玄宗皇帝に重用されるとともに、中国を代表する詩人 李白や王維らとも交流するなど、幅広く活躍した。
故郷の山を思い出して詠んだ歌
「春日」とは、山焼きで有名な奈良の若草山を含む一帯で、「かすか」と「春日」の掛詞と言われている。「三笠山」とは奈良市東方の郊外にある、春日神社のすぐ後ろの標高283mの山(山にしてはちょっと低いが、天保山でも4.53m〔2番目に低い〕、仙台にある日和山にいたっては標高3m〔一番低い〕しかない)のことだ。
不運な人でたびたび海難事故に遭い、結局は日本には帰れず、中国で死亡した。旅先で死ぬことを「客死」というので覚えておこう。
謎の人物 喜撰法師(きせんほうし)
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり
[現代和訳]
私の庵は都の東南にあって、そこで静かに暮らしている。しかし世間の人たちは私がこの世が辛いから隠れて、この宇治の山に住んでいるのだと噂しているようだ。
[作者生没年・出典]
生没年不詳。平安初期の歌人。六歌仙の一人。
[人物紹介と歴史的背景]
この一首しかこの世に喜撰法師の歌はない。実在そのものが疑われている歌人で、謎が謎を呼ぶ歌だ。
大した歌のようには見えないけど
歌自体も、「憂し」と「宇治」をかけただけの歌で、素人目にも大した歌のようには思えない。古今集の「仮名序」の中で「宇治山の僧 喜撰は、詞(ことば)かすかにして、始め終わりは確かならず。いはば秋の月を見るに暁の雲にあへるがごとし。よめる歌多く聞こえねば、かれこれをかよはして、よく知らず」と紀貫之も、あまり高い評価をしていない。また「多く聞こえねば」どころか、この一首しかないので、相対性実績を考えることも不可能状態だ。
なのに、一流歌人 紀貫之だけでなく、藤原定家までがわざわざ取り上げるような価値のあるものか、大いに疑問で、理由を知りたいところだ。そこで研究者の中には、「喜撰」を「黄泉(あの世のこと)」とか「紀仙(紀氏の仙人)」と読み替えて、古今集を編集した紀貫之たちが「紀氏の守り神」として扱っていたのを、定家が真意をくみ取って、選んだのではないか?とする人もいる。つまり百人一首を知るには、古今集も知らねばならない、というわけで、大変なことだ。