春道列樹(はるみちのつらき)

山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり

[現代和訳]
山あいの谷川に、風が架け渡したなんとも美しい柵があったのだが、それは (吹き散らされたままに) 流れずまるで柵のように積もっている紅葉であったことよ。

[作者生没年・出典]
生年不明 没年920年 古今集 巻五 秋下 332

[人物紹介と歴史的背景]
「しがらみ」は柵のこと。作品自体が少ないのか、秀歌があまり作れなかったのかは不明だが、確認できるのは3首だけの作者である。しかし定家の好みにあったのか、3首とも彼の歌集に入っている。彼は920年に大宰府へ赴任する途中で客死した不運な人であった。定家の好みにあったのか、なぜか選ばれている。

紀友則 (きのとものり)

久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ

[現代和訳]
こんなにも日の光が降りそそいでいるのどかな春の日であるのに、どうして落着いた心もなく、花は散っていくのだろうか。

[作者生没年・出典]
生年不明 没年907年 古今集 巻二 春下 84 古今集の撰者 三十六歌仙の一人

[人物紹介と歴史的背景]
紀友則は紀貫之の従兄で、古今和歌集の選者の1人。しかし古今集が完成する前に残念ながら死去する。それで貫之が友則が死んだ後

明日しらぬ 我が身と思へど 暮れぬ間に 今日は人こそ 悲しかりけれ (古今集 哀傷歌 836)

と詠んでいる。相当ショックだったようだ。

「しず心なく」が後世に受けた

この歌は最初はそれほど注目を浴びていない。しかし定家が絶賛したこともあって、後世で人気を博した。作者 紀友則は他に花を題材にして歌を作っていて、

君ならでたれかに見せん梅の花 色も香をも知る人ぞ知る (古今集 春上38)
雪ふれば木毎に花ぞ咲きにける いずれを梅とわきて折らまし(古今集 冬337)

これは22番で紹介した「離合歌」で、木+毎=梅 の言葉遊びが入っている。

藤原興風 (ふじわらのおきかぜ)

誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

[現代和訳]
友達は次々と亡くなり、これから誰を友とすればいいのだろう。馴染みあるこの高砂の松でさえ、昔からの友ではないのだから。

[作者生没年・出典]
生没年不明 古今集 巻十七 雑上 909 三十六歌仙の一人

[人物紹介と歴史的背景]
「高砂」は兵庫県高砂市南部を指し、松の名所として知られている。

ちょっと寂し過ぎる歌

松は長寿の象徴でもあるが、長生きしたために友がいなくなった、という悲しみを詠うという、はっきり言って、ものすごく暗い歌だ。残念ながら、高齢化社会の現代にぴったりの歌かもしれない。作者は出世しなかったが、勅撰和歌集=公式和歌集に17首入選している、当代有数の歌人だ。定家が74才の時に百人一首を作ったのだが、「老人」同士、気があったのかもしれない、と考えたくなる。