本論であるが、解決策というか、予防策というものはないのだろうか?

制限以上の速度を出す設計自体の禁止、改造禁止

まず自動車は制限時速80㎞以上は出ないようにし、制限を超えて走行すると強制停止になるコンピューターシステムを組み込むように、法律で定めるべきだ。そしてこれらを違法改造した者は、執行猶予なしの満期収監実刑かつ免許剥奪と、企業解体=お家お取り潰しにする。こんな乱暴なことを述べるのは、「制限速度」はなんのためにあるのか、そもそもずっと疑問に思っていたからだ。だいだいレースでもないのに、一般道で、そんなスピードが出せるように設計するのがおかしい。本当の「安全」を目指すなら、最初から徹底するのが筋だ。

高速道路が渋滞するぞ、と言うのなら、得意のAIを使ってなんとかするように国交省は計画することだ。先ほど「制限時速80㎞」としたのは、高速道路の制限時速は80㎞までと決まっているからだ。法律に従っているのだから、どこからも文句は出せない。また「遅れるのが嫌なら、早めに出なさい」と学校で習ったはずだし。

道路整備予算を優先する

今度は道路の整備だ。そこで冒頭のヤンのセリフに戻る。
子供が巻き込まれるような、玉突きスピン事故の瞬間、必要だったものは、人の注意力ではなく、歩道側にガードレール、あるいは2,3本の金属の棒、つまり車止めポールだった。それらがあれば、転がってくる車を止めることができたか、少なくとも減速させることはできたはずだ。そうすれば、ぶつかったとしても、衝撃に弱い児童でも、大けがで済ませることができたかもしれない。もちろん確率的には、ぶつかって、転がり、誰か別の人に当たったかもしれないが。

見晴らしが良い歩道だから、何かあれば避けることができるだろう、と「人間に期待する」ことは一切やめる。そもそも幼児や児童、彼らを守る保母さんなどに、とっさの行動を期待する方がおかしい。機敏な青少年でも、歩きスマホをしていたり、別の方角を見ていたら無理だ。

例外なく、ガードレールや車止めポールの設置を進めるよう、市議会、県議会、そして国会は予算を検討するしかない。でなければ、また同じ事が起きる。今回の事故が発生した道路は、「国や県の基準」をクリアしていたから、安全ポールなどがなかったのは違法ではなかった、と県の回答があったが、結果からは、その「県の基準」自体がおかしかった。

免許の返納問題は本人だけでなく周囲も解決に参加するべき問題

これは難しい。免許がなくても、車を運転できる人・したい人、あるいは、しないといけない人は運転をする。対して、免許を持っていても運転しない人・したくない人はしない。例えば、私は免許を持っているが、運転はしない。もちろん無免許運転自体は重大な違反行為だから、それだけの単独の刑罰がある。ついでに言うと以前は、有免許だろうが、無免許だろうが「車を運転できる技術を持っている」ことには変わりはないから、危険運転致死傷罪などの判断基準には影響しなかった。今は少し変わっていると思う。

話は戻って、高齢者の免許返納は単純には「儀式」であり、そこに到達するまでには、今後車を運転する・しないは、ご本人の意思とその周りのサポート体制構築にかかっている。例えば、どこかに行きたいなら、家族のうちの誰かが連れて行ってくれるとか、定期的な通院なら、病院から巡回バスが出るとかの環境が整わなければ、車を手放す気にはなれないだろう。そこを議論せずに「返納しないのが悪い!」と主張しても、何も動かない。これは認知症を発症、あるいは発症しかかっている人にも当てはまる。よって行政とか各家庭などがキチンと機能することが前提だから「難しい」とした。

「悪の性質」を前提にすること

今までの日本の社会は人間の「善の性質」に頼りすぎていた。昔はそれで良かったのだろう。しかし、ここまで機械文明が、日常まで浸透してしてしまうと、人間の善の性質に頼ってばかりでは、もはや無理だ。機械文明とはある意味、奴隷制で無意識のものであるから、「最初から守ることをアテにせず、守るようにガチガチに固めて強制的に守らせる」ことを、前提にするしかないのではないか。