銀河英雄伝説の一節を思い出してしまう

「グランド・カナルに必要だったのは、100個の勲章ではなく、たった1隻の僚艦だったと思いますよ」

宇宙暦795年、自由惑星同盟に所属する巡航艦グランド・カナルは命令に従い、単艦で民間輸送船団を護送する途中、敵艦2隻と遭遇・交戦し、撃沈された。他の艦が同行しなかったのは、「第3次ティアマト会戦での最終衝突が近いので、味方艦の損失を避けよ」とする、司令官の余計な訓令に従ったからである。

訓令よりは命令の方を優先するのが当然であるから、グランド・カナルの取った行動は立派だった。対して、同盟軍は自らの不手際を隠す意味もあって、艦長を含む同艦の戦死者全員を英雄として祭り上げた。この事件を巡ってインタビューを受けた、同盟軍の准将 ヤン・ウエンリーは上のように答えたが、軍を称賛する回答を期待していたメディアには黙殺された。
(銀河英雄伝説 外伝第1巻 「星を砕くもの」より)

事故は連鎖するのか

幼児たちや、老人たちが巻き込まれる交通事故ばかり目に入ってしまう。小さい我が子や、老い先短いとは言え、まだ矍鑠と外を歩ける老親が、突然この世からいなくなって茫然としているであろう、親・保護者や、子である初老の域にさしかかった男女や親族のことを考えると、なんとも言えない気持ちになる。これは私が年を取ってしまったという証拠でもある。

そして被害者側の親族の心境は、まさに蓮如上人の言うが如く
「されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」
紅顔とは元気な顔のことで、朝、元気な顔で、行ってきますと出発した人が、その日の内に見る影もない姿になってしまうことを意味する。

これを実感させられてしまうのだ。こんな残酷なことがあろうか。

非常に嫌な話題だが、いっそこれらの事故・事件に集中することで、お悔やみの代わりにしたい。
事故はなぜか連続して他にも頻発したが、平成の最後に起きた母子1組が亡くなった東京の事故と、令和の最初に起きた大津の保育園児死亡事故、次にごく最近、老人が老人を死なせた大阪の暴走事故などに的を絞って考えてみた。

被害者に過失がない場合は本当に気の毒だ

交通事故というと、歩行者側にも、後先考えずに飛び出すとか、大人なら酔っぱらっていた、などの過失がある場合も見受けられるが、どの場合も歩行者=被害者側には過失はない、と断言してよいだろう。

大津の事故の場合、事故を起こした側も、巻き込まれた車も、スピード違反をしていたとかなどの、さらに重い要素があるわけでなかった。転がっていったところに園児と保母さんの集団がいた、いてしまった、というまさに「悪い偶然」が重なったようにも思われる。

先週、大阪で起きた暴走事故は、卒寿近い加害者が同じ年齢ぐらいの3人を跳ね飛ばし、1人死亡2人負傷になった。死亡した男性はボランティア活動に勤しむ優しい人柄だったと言う。その加害者である老人も、ここ数年は事故も起こさず、去年には「そろそろ免許を返上しなければ」と言っていたが、自身が病院へ通うことや、家族の送り迎えに車が必要だったからと、躊躇っているうちに起こした事故だった。

起きてしまったことに「もし」は禁句だが、衝突を受けたのがもし若者であったなら、負傷だけで済んだかもしれない。やはり小児や老人だったがゆえに、衝撃に耐えられなかったのだろう。まさに二重三重に運が悪かったようだ。

突然「遺族」になってしまうということ

想像すると一番胸が痛くなって、呼吸に困難を覚えたるのが、突然「遺族」になってしまった被害者の心情だ。

私はこのような時、突然「遺族」になってしまった人や、「自分の過失ではないのに自分を責めたくなる」遺族や関係者を見ると、規模は違うが、500人超が死亡した、1985年(昭和60年)の、日航ジャンボ機の事故を思い出してしまう。正確には、これを題材にしてできあがった、山崎豊子氏の小説「沈まぬ太陽」を思い出す。

この小説中にある3つのエピソードが今回の事故に重なってしかたがない。1つは、5人家族のうち、3人の子供とその母 = 妻をいっぺんに亡くした父親が、誰もいない家に帰ってくるのが、とてもつらくてまさに無限の孤独地獄です、という言葉を連絡役の同じく遺族になってしまった人に告白する、というシーンが胸に迫る。

その連絡役になった遺族は、甲子園の高校野球を見たいから、とせがむので、どうしようもなく、運命の123便に9才の息子を、一人で乗せてしまい、死ぬ時にそばに付いていてやれなかったことを悔いている母親である。そばにいる、ということは自分も死ぬのだが、それはすでに度外視している母親である。

そして、娘夫婦とその子を失くし、天涯孤独・血脈断絶の運命を受け入れ、自宅を処分し、賠償金等は他の遺族に譲り、すべての遺族と日航関係者に背を向け、最後は「同行二人」のお遍路=死地へ旅立ちに出立する一人の老人の姿だ。

小説の中だけではない

小説の中では、男性は「瀬川氏」で、母親は「美谷島さん」、老人は「坂口さん」であったが、この3人が、今回の事故の被害者遺族にどうも重なってしまい、時空を超えた作家の洞察力と筆力に圧倒される(もっとも3人目の「坂口さん」は作者の創作した人物のようだが、似たようなことになった被害者遺族、例えばショックで生きる気力を失ったり、あげく床に伏せたままになったり、ひどい場合はそのまま亡くなってしまった人などは絶対いたはずで、直接に会ったのではないが、見聞きレベルでも、敢えて登場させたのではないかと思われる)。

まだ続く。