天気痛なのに本を読む

台風が近くなると、天気痛で頭が痛くなり、目もなんとなく疲れやすいので、日常とはあまり縁がないような本を、ななめ読みすることが多い。以前に読んだ中で、「神隠しと日本人」の紹介をしたい。

全然流行と関係ないのだが、それでも最近、小学生や中学生、ひいては高校生がフイッといなくなる事件が多いことに気が付いた。そういう意味ではタイムリーな本なのかも、と時々読み返している。

さて著者の小松先生と言えば「妖怪」だ。。私も京極夏彦氏のファンから発展して、妖怪が好きになった。でもこの本の中には妖怪も鬼も直接には出てこない。説話集の中で紹介されるだけだ。例の浦島太郎の話も、浦島太郎に家族がいたら、その家族にとっては「神隠し」になる、という視点は、ああそうかも、と納得してしまった。

ただ、たいていの神隠しのパターンは数時間か数日で見つかるか、見つかっても記憶がなかったり、不運や不幸な場合は、全く見つからなかったり、死んで発見されたりする。少し目を離したすきだったり、当時の社会への絶望とか失望などが原因だったりすることも多いのでは、と著者は言う。

また、柳田國男の言葉を借りて、「子供は妄想にかられたり、自分の無力さを実感しながらも『異界』を見たくなるものだ」には共感した。

私も「神隠し」に遭ったことがあるが、実は単なる逃亡だった

実は私も2、3歳の時に、近所の神社にお参りにいった祖母が、知り合いと話し込んでいるうちに、ふらふらとそこから300mほど離れた駅まで行ってしまい、駅前の店の女性が私を知っていたので保護され、おんぶして自宅に連れていくと、家に鍵がかかっていない上に、ふとんがそのまま敷いてあったから、私を寝かしつけて、その女性は店に戻った。なんとものんびりした時代だ。

祖母の方はもう大変だった。水路に落ちたのではないか、人さらいにあったのではないか、車にはねられたのではないかと探し回り、近所の人にも手伝ってもらって手分けして探したのだが、見つからず、疲れて帰宅すると、私が寝ていたのだから、腰が抜けそうになったと言う。それでなくても心臓の弱い祖母の寿命を、確実に私は縮めた。

後日、駅前の店の女性が私を保護してくれた、とわかり、謝意と謝罪をしに行った時に、「神社と駅の間に大きな道路があるが、よく事故に遭わずに渡れたものだ」としばらく話題になったらしい。
私も「神隠し」にあったことになる。

中学生や高校生が帰宅途中に失踪する事件もよくある。自発的なものもあれば、不埒な輩に拉致される場合もある。拉致の場合は、悪いのは拉致する側だが、自発的な場合は、一概に本人が悪いとは限らない。特に今、コロナ騒動の影響で家庭が荒れているので、なるべく家庭にいたくない、という学童が増えているのは、胸が痛む。

無理を押し付ける家族や、思春期特有の「反発心」だけの場合もある。良くできた両親や保護者なのに、なぜか子弟が言うことをきかないケースも良く見てきた。もしその子が冒険心がもう少しあったら「神隠し」になっていたかもしれない、と最近の「事件」を色々と考えてしまった。

むしろ大人も子供も「神隠し」を表したこの本を大勢が読むべきだ。そうやって現代も昔も、内にも外にも変わらない危険があることを知った方が良い。