全く勉強させていない場合もあるが諦めてはいけない

よくあるのが小学校の時にスポーツ・クラブに入らせて、運動だけはしていたが、頭は空っぽという場合だ。スポーツ・クラブに入れておけば親・保護者たちは楽だからなのかもしれないが、そういう人が中学になって勉強について行けません、となっても当然だ。今まで放っておいた自分たちが悪いのだ。責任を果たさねばならない。そして最近、スポーツ関係の進路では、あまり学校の成績が悪い、例えば5段階評価で英数国理社のどれかで2などを取っていると、推薦はほぼもらえなくなってきている。これも実際に見聞きした事実だ。

これはここ15~10年間のスポーツ界の趨勢を見ているとうなづけるものがある。まずパワハラ・セクハラ問題から始まって、行き過ぎた過酷な練習と、指導者の科学的レベルの低さが目についた。まさに「脳みそが筋肉」の体質であの業界はまずいと思われてしまったのである。

そこで関係者が考えたのは対処療法と長期計画だろう。前者は不適切な指導者の解雇および追放、後者はこれからそのスポーツを続けてくれそうな子供たちへの教育と指導だ。そこで「心技体」の「技」の部分に「智」が入ったと考えられる。関西弁で言うところの「アホはいらん」ということだ。

世界の潮流は「勉強もスポーツも」になっている

NBAでは、オフシーズンに「自己を高めること」を義務付けているチームもある。ロサンゼルス・レイカーズ の主力センターだったシャキール・オニールが大学で哲学を勉強しろと命令されたことが有名だし、オリンピックのメダリストはほぼ全員が高学歴で「メダルを目指すために必要な知的技術」の研究に余念がないことも、あまり日本では知られていない事実だ。

最近甲子園に~商業高校というのが出場することが少なくなったが、商業高校では就職や進学にさしつかえるから、入学しない、という球児が増え、部そのものが弱体化していっているからだ。同じスポーツをやる者でもそのスポーツに賭けているため、先を読む者は読んでいる、という証拠だ。レベルは少し違うけれども。

話は戻って、とりあえず図書館に連れていき、親・保護者もそれを自分の義務とし、本人は絵本コーナーから始めるしかない。図書館に連れていくのがスケジュール的に無理なら誰かに頼む手もあるし、あるいは本人を「本読みボランティア」に突っ込むのもありかもしれない。

絵本コーナーでは幼児が寄ってきて「読め読め攻撃」を受けるかもしれないが、それはそれでいいのではないか。どっちにしても同じことだからだ。そこから小学1年~6年までを読破していけば、自然に文を読む人間に変身しているだろう。

特に小学校4年生ぐらいは中だるみの時期でもあって、本よりゲームとか、友達付き合いとかスポーツとかに熱中していることもある。また学校では「反戦カルト授業」になっていて、子供心ながら国語=書物に反発していることも多い。

話が少しそれるが、反戦カルトはやめた方がいい。「これはいい」と力説するのは構わないが、「あれはだめだ」と決め付けるのは言論弾圧だ、という認識がない人が多い。民主主義を支える骨格が「表現の自由」であるならば、民主主義を破壊する意図の言論も弾圧してはならないはずだ。

学校に行って勉強するというのは「知的なサバイバル・ゲーム」

創意工夫のない人は滅びていく運命にある。そういう意味ではもはや「ゲーム」ではない。先生が質問しても答えることのできないあなたは、「ゾンビ化している」「劣化が激しい」あるいは「返事がないから、ただの死骸だ」と指摘されなければいけないぐらいだ。

ただ問題は、仮に学校の勉強ができなくても、とりあえず本当に死亡する、という結果にはならないことだ、と良く言われている。ホントだろうか? 私はそんなことはない、と考えている。精神的に荒廃してしまい、行くのが嫌になれば、それはすなわち死ではないか?

あるいは未来の選択肢が減ってしまう、というのは、未来Aや未来B、未来Cが消滅したことになって、結果、A、B、そしてCの世界にいる自分が消滅=死亡した、と考えても良いだろう。
やはりそれは死ではないか?

ある程度は痛い目に遭遇しないと、わからない人にはわからないのである。
Spare the lod, and spoil the child.という。実際に鞭でたたいたら虐待になってしまうが、鞭の代わりになる言葉と行動で、叱咤激励することを、親・保護者はためらってはいけないのだ。損をするのは子供で、その結果、親も損をするからだ。