間接疑問文は高校生にとっても盲点の1つ

やはり、中学英語で、間接疑問文の出現・学習時期に原因があると思われる。例えば、that節は2年生で習うのが普通だ。15年ぐらい前は後半になって出てくることもあったが、今はたいてい前半が中盤で出現する。その後で that 抜きのパターンを時々の文章に出して「忘れていないよな」と確認してくる。

これを間接疑問文にも応用すれば良いのではないか?確かに中学3年前半の「目玉商品」は現在完了形なのが主な教科書の造りになっている。しかし「隠し味」で前半に間接疑問文を入れておき、中盤と終盤で、現在完了形を含めた間接疑問文を何回か紹介する、という方法は取れないのか?

なぜこんなことを主張するかというと、what を使った関係代名詞など紛らわしいものがたくさんあるからだ。間接疑問文が高校入試が視野に入ったあたりで出現するものだから、他の科目に気を取られて、間接疑問文を軽視する。このへんは形容詞節と同じだな~といつも思っている。

たまに高校生を学習指導することもあるが、そこそこいい学校へ通っている人でも、間接疑問文や形容詞節を使いこなせたり、読解であっさり見抜く人は少ないからだ。統計の数字はないだろうが、経験が教える弱点だろう。

中学時代に脳に浸透するヒマがないまま高校生になり、普通疑問文でも間接疑問文になる「ask + if節の間接疑問文」を知っている人は本当に少数だ。

共通テストで危険は潜在化するだろう

この文の形や文法は今までのセンター対策用の模擬テストには頻繁に出た。共通テストになったが、中身は変わっていない。そりゃそうだろう。「英語の基本」が変化することなどありえない。数学の出題形式がどんなに変化しても、解と係数の関係,α+β=-b/a ・αβ=c/aに変化があるわけがないのと同じだ。ただ前面に出てくることはないからこそ「盲点」になり、「目立たない弱点」として潜在的に存在し続けるからもっと危険だ、という認識を持ちたい。

「受験英語」はひとくくりにして「悪者扱い」されてきた面が強い。しかし、NHKなどの上級者向けの英語番組、たとえば著名な人にインタビューする番組とか、人生などを語ってもらう番組のテキストを読めば、「受験英語」の中に出てくるものが頻繁に登場する。英語ネイティブの人はそれらを普通に話しているのだ。単語だって難しい言葉も平気で使う。インタビューを受ける人たちは当然インテリが多いし、自分の人生と社会を深く考えている人たち=語彙が豊富に決まってるから。

日本語が母国語である日本人が真剣に英語に取り組むのはテストがあるからだ。そのテストの機会をもっと大いに利用して、英語を教える体制を強化する必要があると思うのだが、現実はむしろ逆になっているのではないか?

まあ大きなことは置いておく。とにかく、目の前の危機をクリアするためにできたのが、このVITALs だ、ということを知っていただければ、それで良いし、利用していただければもっと嬉しい。

我が 「VITALsができるまで」のお題はここまでとする