そのとんでもない「出し物」とは死刑見物
しかも2人同時に処刑されるのを皆で見物するのだが、その処刑場が一番よく見える席が実は「特等席」だった。アルベールはその事実を知ってびっくりし怖気づいてしまう。このあたりの描写でアルベールが純粋で文化人で、経験不足の青年であることを表している。
しかし言葉巧みに、伯爵は「こんなことはもう人生ではないかもしれないから」と促して、彼にある意味、無理矢理に死刑を見物させる悪趣味な所がある。そして世界のあらゆるところで死刑を見てきたが、中国でのそれが一番死刑らしくて良かった、などと論評し、だから名高い謝肉祭(に行われる死刑の)見物に来たと伯爵は言う。
ボーシャンとアルベールは処刑場に目をやると、死刑執行人が道具の手入れをしながら、ワインを飲み、パンやソーセージをかじっているのが見えた。ここの描写もすごい。今から人を殺すのに、平然と食事をしているのである。
死刑見物は当時では普通だった
もはや普通の神経ではありえない、と思うのは、我々が21世紀の倫理観念に守られて生きている、神経の細い繊細な人間だからだ。「モンテ・クリスト伯」の時代は、ナポレオンがエルバ島に監禁されていた1814年~1815年だから、今から約200年前の話で19世紀の最初、1803年が江戸開府の200年、1808年フェートン号事件、1825年異国船打払令、1828年 シーボルト事件、文化史なら滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」、杉田玄白の「蘭学事始」、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」が完成・出版された時代で、1840年にはアヘン戦争が起きる。
つまり江戸の「寛政の改革」が終わって、幕末につながる「文化文政の時代=化政文化」の始まりだ。時代劇にあるような「市中引き回しの上獄門」など当たり前でもあるし、のこぎりで首を切られる処刑もあったから、「見世物、見せしめの死刑」は「グローバル・スタンダード」と言える。
話は戻って、この処刑には「余興」までついていた
実はこれも伯爵の手が回っていたのだが、死刑になるはずのうちの1人が恩赦で、その場で死刑を免れるのだ。もちろん残る1人はそのまま死刑だ。残された者は「是乗せてゆけ、具してゆけ」の鬼界ヶ島の俊寛の如く、悪態の限りをつくし、絶望するのだが、執行人に押さえつけられ、哀れ処刑場の露と消える。このシーンの残虐性もすごいが、さすがに割愛する。その時に群衆の興奮はピークに達し、謝肉祭が始まる。
アルベールはほとんど失神しそうになるのだが、伯爵は「実に人間らしい。あれが羊や牛ならば、仲間が助かることを喜ぶでしょう。まさに罪ある存在、人間万歳ですな」とまで言う。読んでいる読者にも、伯爵が悪趣味は上辺だけで、人間をかなり憎んでいるな、と推測できる部分でもある。喩えは極端な方がわかりやすい、と言うが、死刑見物という「究極の娯楽場」の描写で、その人の人間性の暴露をするのは中々の手腕だ。
アルベールは拉致されるが…
さてかなりショックを受けた放心状態のアルベールは、その後に行われたカーニバルを見物しているうちに、仮面を被った一人の女性が自分に秋波を送っていることに気がついた。実はまたこれが伯爵の手であり、その女性はローマ郊外を根城にして、ローマ全体を牛耳っている山賊ルイジ・バンパの妻であった(まあ雑誌などに登場するイタリア美人を想像すると良いかも)。
謝肉祭でのショックもあり、美人局(つつもたせ)の罠にあっさりかかったアルベールは、ルイジ・バンパの人質になってしまい、身代金を渡すなら解放すると、ボーシャンに連絡がいく。もちろんボーシャンにはお金がないから、「何かあったのか」と、巧みに本心を隠して近づいてきた伯爵にまた窮状を伝えると、「これも何かの縁だから、私が交渉人になってあげましょう」とバンパと取引をするふりをして、アルベールを解放させる「手柄」を伯爵はたてる。ルイジ・バンパは彼が若いころから、伯爵の崇拝者であり僕(しもべ)でもあった。伯爵は今でいう反社会的勢力ともつながっていたのである。
まだ続く。