あの事件から1年経った

テレビを久しぶりに見ていたら、去年の今頃に始まった Black Lives Matter 特集をやっていた。あれからも各地で、様々な人種に対する人種差別事件が起きている。あるいは映画「風と共に去りぬ」を放映するかしないかで、揉めたりしているらしい。

短絡的な私は「差別」と言えば「奴隷」、「奴隷」と言えば「植民地」という言葉を連想する。そこで「アメリカ黒人奴隷の歴史」という本の内容を思い出した。私は変なことに興味があるのだ。

昆虫などは例外として、人間だけが奴隷を持つ。そして人間だけが奴隷に「なれる」。これは歴史的事実だ。捕まって、奴隷になりたくなければ、逃亡するか、死ぬかのどちらかだが、たいてい逃亡は不可能で、死ぬのも嫌だから、とりあえず奴隷になっておいて、そのうちスキを見て逃げよう、と考える。これが普通だ。

ところが、その奴隷状態が何世代か続くと、奴隷であることに「慣れて」しまう、とその本は言う。古いのはちょっと記録がないようだから(どこかにあるかもしれないが)1800年代のアメリカでの黒人奴隷の記録によると、彼らは朝5時ぐらいから農場作業を始めて、中食や昼食を取って夕方になると作業を止め、家に帰り、夕食を取って自由時間を過ごし、寝て、また朝になると作業を始める。すべて自主的にだ。奴隷の子供も同じように働く。

そして意外なことに、奴隷の所有者は相当のことがない限り、彼らを鞭でなぐったりはしない。むしろ彼らが快適に、永く働き続けることができるように、彼らが望むものは、武器など危険なものや、管理上許可できないもの以外は、与えた、とある。

また監視も所有者自身がするのではなく、奴隷の中で従順で、現状維持を望み、奴隷内で人望のあるものを奴隷頭、つまり監視者にして、ほとんどすべてを彼に任せる。奴隷が不始末をしたら監視者の責任にして、彼をせっかんすることにしていているし、監視役の報酬も多めにしてあるので、むしろ奴隷頭が張り切りすぎないようにすることが、所有者の腕だそうだ。

そして、奴隷社会に自治を与えて、彼らのルールで規律させたプランテーションの方が、結果、効率が良く収穫も売上も伸びたという。もちろんその時はボーナスも増える。また扱いのひどい農場から逃亡してきた奴隷が来ると、元の所有者と取引して、受け入れることも時々はあった。

しかし奴隷は奴隷のままで教育を受けることはできなく、奴隷社会の変革はできないまま、人工ピラミッドは「山型」のままで「多産多死社会」を維持することが所有者=経営者のコツだ。

現在「新植民地主義」という言葉が出てきている

以上のように書いてあった。現代にもあてはまりそうな感じの「経営」だ。しかし変に怒りはなかった。むしろその中にいる人たちは幸福なのだ。そしてたいていはその「社会」に入りたがる人の方が多い。自分が弱いことを知っていて、人に助けてもらえる可能性を高くしておいた方が、生存確率が伸びることを、本能的に知っているだろうからだ。

また別の本には植民地を経営する一番の基本は、団結させないこと、逆に言えば分裂させること。その原因は何でもよい。宗教でも主義でも肌の色でも、慣習でもよい。他者を認めないようにする、違うものを持つ他者を憎悪させることだ、と。同じ土地に、少し力のある少数者と力を持たない多数を配置し、少数に多数を監視させ、少数に少し特権を持たせ、多数に恨ませるように、多数者の中に「手下」を組み込み、継続的に金品を与えておいて、時々扇動するように仕向ける。

差別者と被差別者は常に「同じ箱」の中に入れておき、「違う→憎悪する」の一択しかないように仕向け、「違う⇒放置する」とか「違う⇒認め合う」という選択肢を発生させないようにする。そのような感情を持つようにしておけば、植民地経営がうまく行くとあった。

それと関連してかどうかわからないが、現在「新植民地主義」という概念がぼちぼち出てきている。まだ日本では詳しく研究している人は少なく、普及していないようだ。関連書籍も今のところ専門書で、高価で数も少ない。そのうち取り寄せて読もうかな、と考えている。

コントロールされているが、コントロールされていることにも、「箱の」中に入っていることにも、気が付かないように仕組まれている。つまり「新植民地主義」はすでに始まっている。それは自国の中から始まる。そして他国へ向かう。今度は、17世紀のようにではなく、あからさまではなく、目に見えないように。

なんとなくやばい感じがするのは、私だけはないだろう。