主に数学の「文章問題」だが

気が散るのは、私もよくある。大切な場面では、一番やってはいけないことだ。
バッターボックスに入る打者は単純にぼ~と入る人はあまりいなくて、「儀式」「ジンクス」をやってから打席に立つ人がほとんどらしい。必ず左足から入るとか、バットを縦に2回振るとか「儀式」をしながら自分を集中させていくと言う。

しかし「気が散るからできない」レベルではなく、数学の「文字式や方程式の文章問題ができない」にはパターンがある。原因は大きく3つで、
①パターンを知っていないからできない。
②文章から等式が読み取れないから、式が作れない。
③式は作れたが、計算レベルで合わない。
④解と解答が微妙に違っていることに気が付かず、正解に達しない。

①と②は似たようなもので、ある程度はパターンを覚えるまで何回も練習するしか方法はないし、それが最善の策だ。覚えられなければ、試験で悪い点を取って、お小遣いが減るとかの被害があるから、本人が嫌がろうが逃げようが、首根っこを捕まえて、ある程度時間をかけるように親・保護者、そして指導者は拘束しなければならない。妙に甘い態度は、結局本人のためにはならない。

問題は③だ。
普通は式が作れたなら、もう話は半分終わったようなものだと考えるだろう。それは方程式の勉強を相当やりこんだ人の場合だ。

人には「注意力の量」が個人的に差がある。特に精神的に幼い人、中学1年になっただけで、中身が小学生のままの生徒は、問題文を読むのに持てる半分以上の注意力を消耗し、ポイントをつかむのに残りの半分を費やし、ひっかかる点を回避するのにさらに残りの半分を使ってしまって、ようやっと作った式を解く段階に来た時にへたりこんでいる。

方程式の文章問題は式が難しいので解くのも大変

そしてここがもう一つ肝なのだが、方程式の文章問題を解くために作成した式というのは、普通の方程式の計算練習で出てくるタイプより、より複雑で、係数のケタも大きかったりする。

例えば同じ分数を使っているタイプでも、

なのではなくて、

だとか、もっと複雑なのは

になっていたりする。

この時点で、「ああ疲れた」となって、「分母を払う」と言うテクニックを思い出すのに時間がかかり、気力を起こして、ようやっと始めたころにはタイム・アップという事態になるわけだ。もしこういう問題が3問ほど続いたら、ノックアウトは確実だ。

これを克服する手段を探すのにたいていの親・保護者が頭を痛めるところだが、効果的な解消法はおそらくここ100年間で発見はされていないし、今後もないだろう。日頃から問題を解くことを習慣にするしかないから、自分だけが頼りになるか、厳しい練習を課すが、根気は良い指導者を探すことになる。

「方程式の文章問題ができない」にはまだ原因がある。

それは最初に言ったが「気が散る」ことだ。せっかく式を作ったのに、自信がないから、またさっきの文章を読み返していたり、それも式を解きながら、ちらちらと文章を読んでいたりする。こういうタイプは計算間違いを絶対にやる。

日常生活でも同じことをしているはずだ。キョロキョロ、キョドキョドしていて落ち着きが無かったり、肝心のことを聞き逃したり、何回も同じことを質問し返したりしているはずだ。俗に言うところの「腰が据わっていない」タイプだ。例の「非認知能力」の不足でもある。

こういう人は「あなたは同時に2つのことをできるほど器用ではない」と常日頃から言い聞かせて、1つのことを始めたら、それが終わるまで席をたたないとか、口を開かないとかを厳しく指導しないといけない。

最近の甘い親・保護者にそれができるかどうかは難問だろうが、ここぐらいをクリアできなければ、試験で高得点をあげることは、月に行くぐらい難しく、不可能だろう。

とにかく小学校と中学校は環境が地球と火星ぐらい違う、と考えて欲しい。新中学1年は、親・保護者の意識改革がこの5月と6月ぐらいから強く望まれる。