成績不良が非行につながる確率が現代では高い
前回、とある学校で起きた「事件」の話を紹介して、最後に「どうしてこうなるの考えていただきたい」と結んだ。で、何をどう考えてもらいたいのかを明らかにしたい。
「成績不良が非行に繋がる割合は、70年代より今のほうが高い」 というデータを示すサイトを紹介しておくので、まずここを読んで欲しい。
このデータ内で取り扱われている1970年代というのは、私が10才ぐらいの子供時代を過ごした時だ。人口過密の上に(同時に田舎では人口過疎が進んでいた)、街はごみごみしていて不潔だったし、個人の住宅の水洗トイレの普及率は地区によっては50%を切っていた。学校は木造校舎が当たり前で、通っていた小学校は体育館ではなく「講堂」というのがあった。そして若者には、戦争直後に生まれたであろう不良少年や暴走族がいた。喧嘩も多く、盛り場でよく事件が起きていた。全国的には殺人事件も多かった。1980年代は「荒れる学校」で校内暴力もあった。
しかしこのデータを見ると、内実はのんびりしていたのか~と、ある意味感心する。確かに荒れていた少年たちは大人になると、社会人になっていた。身近な例では、5才ぐらい上で、中学・高校と不良少年だった人物が、いつの間にやら落ち着いた大人になって、会社勤めをしていたり、個人商店で働いていたりという「変身」をよく見た。
オイルショックはあったが、経済的に克服した国力は安定していて、あふれる人口を受け入れる土壌があったからこそ、青少年時代にドロップアウトしていても、セカンドチャンスがあった。精神的にも、まだまだ社会の懐が大きく深かった時代だったのだろう。
現代は色々なものに余裕がない
しかし現代は違う。社会は便利で清潔になり、人も身ぎれいになった。でも経済は失われた10年どころか、30年に突入し、人口が減少しても、人が分け合う「パイ」自体がさらに小さくなってしまった。経済でも失政し、人口減少対応策にも失敗したのに、恥じ入ることもなく、そういうツケを今の子供たちに負わせているのが、私を含めた大人なのであり、教育行政を担当している人たちである。「子供に夢を!」と言い張るのは、大人に夢がないからだ。大人が楽しいのなら、放っておいても子供も楽しくなるはずだからだ。ここも精神的にも余裕がない。
今回のコロナ騒動でも子供に負担がかかりすぎている。流行してから1年3か月も過ぎて、1億人からようやっと50万の人間が感染し、死亡者1万人足らず、その中に若い人はほとんどいなくて、老人だけ。これではどう考えてもコロナは強毒のウィルスではない。大人がもっとしっかり見極めていれば、こんなことにはならなかった。
話は戻る。
そして子供たちは、なんとなく現代がきな臭いことが本能的に、わかっている。子供は弱いゆえに、「耳」と「目」は強い。だから少し失敗するとも未来がないような錯覚に陥る。さきほど紹介したのは、あくまで「非行に走る少年たち」のデーターだから、極端な話であるのは間違いない。しかし非行まで行かなくても、成績が伸び悩むと、いくら友達が多くても、学校では勉強する=授業を受ける時間の方がずっと多いから、誰でも明るい気持ちにはなれず、鬱々とした学校生活を送ることになる。普通の子供は非行に走るほどの無茶はしないし、蛮勇も持ち合わせてはいない。自己の中で鬱々するだけだ。しかし健康的ではない。こここそが、データに出ていない「もう一つの裏の事実」だ。
こういう世になったから
こういう世になったから、子を持つ親は焦る。子に失敗して欲しくない、今の自分が味わっている苦境を子供に味わってもらいたくない、と思い、もっと確かな未来を手に入れるために、失敗しないように早期教育に励む。しかし早期教育でうまく行くのはほんの一握りだ。中学受験の進学コースでも在籍している人の10%しか、第1志望には合格しない。
こういう世になったから、進学校は中学生で学業成績の良い生徒をできる限りたくさん集めて、大学受験で良い成績を収めて、生き残りを図らなければならない。特に「一流校」になれていない学校は、それこそ鵜の目鷹の目で生徒探しする。その結果が前回のブログで紹介した「事件」だ。
そしてこういう世になったから、親・保護者は、闇雲に勉強時間を増やしたり、学習内容を詳しくする方法を採ってはいけない。人は失敗をするのが前提だから、急がば回れ、である。このブログの主題である「精神的に成長する」ことを採用した方が、数段ましな結果になる。子供=生徒の日頃の行動をよく観察して、直すところは直し、伸ばすところは伸ばす。子供=生徒本人も自分でやらなければならない。他人にやらされる2時間より、自分でやる20分の方が濃い。
さらには古典的な名著を読んで、教養を高めること。現代日本語の分野においては、読解のきっかけになるような語彙力の増加と、昔の人なら普通に持っていた知識を取り戻すことだ(国語学習のページを参考)。
それに成功すれば、多少失敗しても取り戻しは可能だ。むしろ失敗を糧にする人になるだろう。
そのようになる方法は「精神的に成長する」ことだと、長年の経験でわかった。