日本史と古典をかみ合わせて欲しい
次にやはり歴史・国語の授業がかみ合わないのが「古典離れ」の原因だと勝手に結論付けている。
特に日本の歴史に関しては、高校では日本史Bがほぼ主流で、Bはそれこそ大昔から20世紀までやる。これでは、飛鳥・奈良・平安・鎌倉を「他の時代と平等に扱う」ことになってしまうし、はっきり言って「面白い」と思ったことは学生時代に思ったことはない。ただし日本史の成績は良かった。それでも好きではなかった。
そこで提案がある。江戸時代の終わりぐらいから始めて、近現代までを対象とする日本史Aがあるのだから、ついでに飛鳥・奈良・平安・鎌倉を対象とする「日本史C」も作るべきだ。できれば縄文⇒弥生⇒古墳⇒大和王朝⇒飛鳥時代の「古代史中心」の日本史Dも欲しい。
そして「暗記もの」としてではなく、「知ること、自分なりに語る、書くこと」に重点を置いた講座として中学・高校に設置すれば、世界に誇れる「文化国家」になる。
特に、エポックメイキングである「承和の変」「応天門の変」「保元の乱」「承久の乱」などは重要テーマとして、各一章を設けて、重点的に取り上げる。
日本の民俗的な風習も紹介する
「人」とは当時「宮中に上がることができる人」のことで、それ以外は「人」ではなかった。だから「平氏にあらずば人にあらず」という言葉がいかに「名言」だったか、だからこそ平氏がいかに「思い上がってしまった」のかがわかる、なんてことは自分で調べて、初めて分かったことだ。
ついでに古文書の「続け字」の読み方も指導するように、書道界に依頼もしてほしい。これも苦労して知ったことだから、小さいころからなじませておいた方がいい。
そういうことを「民間任せ」にして、公教育機関の面目は保たれるのだろうか?
それとも「教えないこと」がウラでは推奨されているのか?
自分たちの授業で、生徒に刺激を与えられないままでいいのか?
そうエラソーに主張しているお前は何かしているのか?と問われた時に、一応のことはしていますよ、という「言い訳材料」として、もちろん半分は趣味もあって、小学校で触れる百人一首の「別のとらえ方」として、下手ながらも自分で「百人一首特集」をまとめている。
これが動機だ。
やれやれ、やっと話がつながった(かな?)。
地震などの災害も古文書の研究を進める
しかし地震が収まらない。いや収まらないのはわかっている。もはや活動期に入ったのだから。今から100年~300年は「地震があって当たり前」の時代を日本人は生きるのだから。大変なエネルギ-だ。人間ごときにはどうしようもない。
以前は政府主流の地震学者は「古文書に書いてあることは『真理』ではないかもしれない」と、言って軽視していた。それはきっと学生時代に「理系は数学や理科だけやっておけ」で教育されたことに原因がある、と私は睨んでいる。
2022年で61才以上の人は各国公立大学が実施する一次試験と二次試験を受けて、合格したら入学できる入試制度を目標として高校時代を送り、理系生徒なら、自分の得意な数学と理科だけの科目で、勝負するのが普通だった。いわゆる「旧一期校・二期校入試制度」だ。
現在60才以下の人は「共通一次」、48才以下の人は「センターテスト」になったから、否が応でも、国語で現文・古文・漢文を勉強しないといけなかった。つまり現在、地震学中枢にいる65才以上の人たちは、ある意味「歪(いびつ)」で「タコ壺」化している恐れが大きい。
最近は進めているらしいので、もっと速度を速める
確かに古文書に書いてあることすべてが「真理」ではないかもしれない。嘘や誇張が多いことも事実だ。でも数学や理科の理論が示すことが、すべて「真理」という保証もどこにもない。すべて「仮説」と言ってもよい。現に、想定外のことが起きた・起きている・起きることは良くある。そもそも目に見える気象の変化でも、「何時何分に雨が降る」と、ばっちり予測できない。
だったら ALL JAPAN で、文系も理系も「日本の知」を総結集して、来たるべき「国家危機」に対応して欲しいなあ、と庶民の私なんかは思う。
と思っていたら、最近は研究が進んでいるらしい。だったらそのまま続けて欲しい。