天智天皇の妹で、天武天皇の奥様
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
[現代和訳]
春は過ぎ夏が来てしまったようだ、香具山には、まっ白な着物が干されているから。
[作者生没年・出典・現代和訳]
645年生まれ702年没、在位690年から697年の第41代天皇 万葉集 巻一 28
[人物紹介と歴史的背景]
持統天皇は天智天皇の第2皇女で、天武天皇の皇后でもある。つまり叔父と姪で結婚したことになるが、この時代、近親婚はよくあった。ただし天智天皇と天武天皇は本当に兄弟だったのか議論がある。その天武天皇を助けて、天智天皇の息子・大友皇子と争って「壬申の乱」の勝利者となったのが持統天皇だ(乱当時は天武天皇の正妻だった)。
藤原鎌足の息子・不比等を抜擢する
天武天皇が崩御(天皇がお亡くなりになることを『崩御(ほうぎょ」)』と呼ぶ)されて後、持統天皇は、父・天智天皇の右腕だった藤原(=中臣)鎌足の息子・藤原不比等を側近に抜擢する。
ここが最大の疑問点で、天智系と天武系とは壬申の乱以来、「水と油」のはずだから、妻である持統天皇なら、夫・天武天皇の側近をそのまま使うはずだ。しかしどうしたものか、持統天皇と天武系の臣下とはいわゆる「馬が合わなかった」か、彼女が「天智天皇の娘」だから、協力する姿勢を見せなかったのではないかと邪推する。そこで藤原不比等を抜擢したのかもしれない。
なんとかして政治権力を握った持統天皇は、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはら)で即位、藤原京遷都などを行い律令体制の基礎を構築した。ただしその即位式そのものも、臣下である藤原不比等の自邸で行われたので、本当に朝廷関係者の万人が認める即位だったのか、疑問視する学者も多い。
天香久山は霊山なのに、なぜそこに「衣」が干してあるのかが最大の謎
この歌は「牧歌的な叙事詩で、万葉集を代表する、おおらかな、伸び伸びとした女帝の性格を表す名歌」と高評価を受けている、と、一般には紹介され、その面は否定できない。しかし「天の香具山」が出て来るのは良いとしても、「衣が干してある」意味に関しては今一はっきりしていない。
そもそも「天の香久山」とは耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま)とともに大和三山とされている。「天」が付くのはこの山自体が天上から降ってきたものだからという伝説に基づいている。映画の『アルマゲドン』か? それとも『インデペンデス・デイ』?とツッコミたくなるが、きれいな三角形をした山は日本で「霊山」の扱いをされることも知っておこう。富士山がその代表だ。
するとその「聖なる山」に、洗濯物みたいな「白い布」が干してあること自体が変と思える。ここで「衣」とは羽衣伝説の「羽衣」を指し、「春が終わり夏が来た」ので「政権奪取の時期到来」を意味しているのではないか、という異説があり、歴史学の野次馬としては魅力を感じる。
実際の持統天皇自身の行動は、夫・天武天皇の別の妻たちの息子を、多数死に追いやっている烈女だ。そして自分の子供に天皇位を継がせようとしたが、その子が先に病死したので、孫の文武天皇に継がせるまで長生きをしなければいけなくなった、ちょっと悲しい「おばあ様」でもある。
「天孫降臨」の創出か?
この現実に行われた「祖母から孫への政権移譲」が、日本神話の中にある「天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天孫 瓊瓊杵尊(てんそん ににぎのみこと)に「瑞穂の国を代々治めよ」とした「天壌無窮の神勅」の原形ではないか?とされている。
結果から見れば父・天智天皇から一旦 弟である 夫・天武天皇へ移った政権は、その妻・持統天皇から、父方 天智系へと再移譲された。だから「夫の遺志を継いだ立派な妻」というイメージより「夫より実家を重んじた嫁」という方がいいかも。歴史上の人物では鎌倉時代の北条政子が似ている。そもそも「持統」という名前が変と言えば変だ。天皇位は受け継がれるのが前提だから、わざわざ「持統」などと表現するのがおかしい。どこの「統」を「持」するのだろう?
持統天皇には変な噂が絶えない
持統天皇は、今の伊勢神宮の原型になった「皇大宮」と呼ばれる神社を大切にした人でもある。ただし伊勢神宮を大切にしたのは、天照大御神の「交代」のためではないか?という説もある。伊勢神宮は有名だが、謎の多い神宮でもあり、本当に祀られているのが誰なのか、あまりはっきりしていない。もちろん神宮関係者はそんなことはない、と否定するが、どう考えても変なところがいっぱいある。
藤原不比等を抜擢したことは、平安時代に、天皇家自体が藤原家のロボット化する遠因となったので、後世には「持統天皇は怨霊になった」とまことしやかに、ささやかれた。また持統天皇は日本史上初の火葬の後、埋葬された天皇であるが、江戸時代には天武・持統陵から持統天皇の骨が盗み出されたとか、どちらかというとセンセーショナルな噂が絶えない人物でもある。皆さんも研究してはいかがだろうか?