気候変動が激しくて付いていけない

今年の夏は何だか変で、お盆の時に大雨が続いて妙に涼しく、終わると暑さがぶり返すなど、順番が逆になっている。後で令和3年豪雨あるいは長雨とでも名付けられるかもしれない。それでも平成30年のいわゆる「西日本豪雨」に比べると、降水量は3倍近かったにもかかわらず、浸水面積も人的被害も少なかった。もちろん被害に遭われた方はお気の毒だが、まだまだ何んとか被害を抑えきれたみたいでよかったと思っている。さぞかし、災害好きのマスコミはがっかりしているだろう。

平成30年(2018年)の西日本豪雨での気象庁の会見

それでも2018年・平成30年の西日本豪雨の時、7月5日の気象庁の会見は今でも深く印象に残っている。あの青い制服を着てテレビの前に現れる気象庁の人たちは scientist 、色々な災害を見て、聞いて、資料を調べ尽くし、世界にまで出かけて研究して知っている専門家で、確率を重視し、正確性を追求することが細胞まで染み込んでいる人たちだ。

そんなある意味「白けているように見えるぐらい、どんな事実でも無感動で冷静であるべき」人たちが、少し声を震わせ「今までに経験したことのないような大雨」とか「予測できないぐらいの災害が起きる可能性が…」と述べている光景を見た時、「やばい感じがする」と思った。

と言うのは、平成26年・2014年10月7日のひまわり8号、平成28年・2016年11月2日のひまわり9号は、「それまでの気象衛星がガラケー携帯なら、スマホ携帯に変わったぐらいの超進化」とまで言われていたことを知っていたからだ。「これは大変なことが起きるな。(不謹慎だが)100人ぐらい、いやもっと死ぬかも」などと予想したが、結局当たってしまった。

なのにその時政府は「自民党亭」などという居酒屋ごっこをして酒盛りをしていたぐらい油断しまくっていた。ついでに言うと立憲民主党も建党会と名打ってパーティー中だった。もちろん政府の面々が緊張していても、防げないものは防げないから、変わりはなかったとは思うし、5日の気象庁の会見は防災担当相がいっしょに出席していたから政治的には問題はなかった。

しかしタイミングが悪い点に徳のなさが露呈しているな、と呆れたのも事実だ。コロナ騒ぎに巻き込まれたオリンピックもしかり。さすがに前回の豪雨で懲りたのか、今回の令和3年の長雨では政府も一応の緊張状態を保ったみたいだったし、集中的に降雨した地域は、それなりに水害に強いところだったから良かった。

昭和13年(1938年)の阪神大水害

今回の水害のニュースに触れて、ひょいと思い出したのは、「アドルフに告ぐ」という手塚治虫氏の作品だった。あの中に「阪神大水害」が描かれていたからだ。さらにその後「細雪」の中にもあったこともやっと、お恥ずかしながら、思い出した。

実は私は手塚ファンではなく、横山光輝ファンであることを告白しておく。「鉄人28号」「伊賀の影丸」「バビル2世」などは子供時代の愛読書だった。そんな私でも読んでいたのが「このアドルフに告ぐ」であった。

直接の記憶にないのは当然で、阪神大水害は、私が生まれるず~っと前、戦前の昭和13年(1938年)の7月3日~7月5日に神戸市及び阪神地区で発生した起きた大災害だ。首相は近衛文麿、彼の第3次内閣の時代だった。8月には独ソ不可侵条約が締結され、アメリカと戦争したくないのに、戦争へと転がっていった優柔不断な時代だ。

それはさておき、今回の「平成30年 西日本豪雨」と全く同じ時期に発生し、原因も同じ梅雨前線の停滞だった。「阪神大水害」は3日間で最大降水量が1時間で約60mm、総雨量は六甲山系で600mm以上、市街地で460mm以上、当然、各河川流域で決壊⇒浸水⇒土石流のフルコース災害になる。

六甲山も中国山地と同じで、花崗岩でできているから例の「真砂土」と「コアストーン」でもろい。もっとも頑丈な土地でもたくさん雨が降ったらどうあがいてもヤバイから、あまり関係ないかもしれない。

「阪神大水害」は、今、朝日新聞の写真アーカイブでたくさん見れます。

朝日新聞阪神大水害

まだ続く。