「推測」ではなく「予想」だった理由は

実は当時のラグビー部の常態をかなり前から在籍していた塾生から聞いて知っていたからだ。まだ中学生なのに夏に1週間の合宿をする、普段でも長時間練習、土日は高校生と試合、でも月曜日も休みはなし、顧問は部員生徒をえこ贔屓したり、叩く殴るは日常茶飯事だった。

周囲の先生たちも見て見ぬふりなど、あえて言えば「異常さ」というか「蛮行」というか、そういう感想を持っていた。学校内では女子生徒たちとは表面的には友好関係が保てているが、その大半は内心では相当嫌っていることなど、これも在籍していた女子塾生たちからの情報だった。うち1人は、今で言う「陰キャの文学少女」だったために、体育会系人間の行動パターンを毛嫌いしていた。私みたいに学校と無関係な立場の者には、道端の御地蔵様といっしょで、そういう「告解」みたいなことはよくあるのだ。

平成も10年近くになるというのに、昭和風でやってるな~、そのうち事故るなあ~と予想していたので、新1年生が在籍するようになった時、運動好きな塾生には「ラグビー部にだけは入るなよ」と耳打ちしていたぐらいで、後で保護者や当人に感謝された。ただし人が死ぬことまではさすがに予想もしていなかったけど。しかしその4人は、2年生から入塾してきたためすでにラグビー部員だったので、止める以前の話だったのが返す返すも残念だった。

死亡したのは当時の1年生で、別メニューだった中学3年の在籍塾生は、事件内容を詳しくは知っていなかった。それでも「人が死んだ」という厳然たる事実は人心を充分に動揺させる。ましてや人生経験の少ない中学3年生ではさらにそれが激しい。

「洗脳」って怖い

またある意味「洗脳状態」にあった彼らに、顧問教師の非を認めることは、困難なことで、あの事故・事件が起きるまで「あんな先生になりたい」とまで言っていた生徒もいたぐらいだ。こういう場合、変に否定すれば頑なになり、もっと動揺することを知っていたのは、祖母の知り合いで、シベリア抑留経験者や中国共産党の収容所での「洗脳」経験のある人から事情を聞いていたからだ。変なところで変な知識が役にたつものだ。私は彼には「将来のことは慎重に決めよう」とだけ答えておいて、取り敢えず勉強に集中させることにした。

さらに問題になったのは「事情聴収」やら「父兄との話し合い」で中学3年の夏休み≒追い込みの季節なのに、ぽろぽろ授業を欠席する、では午前中に補習をしようとすると、精神的に疲れて、夜はよく眠れないから朝起きることが難しい、などの悪条件が重なったことだ。授業に付いていけなくなった1人は退塾してしまった。貧乏塾としては大損害だ。残った3人も成績維持が精いっぱいだった。

そして彼らから漏れ聞く、中学校側の対応もまさに「テンプレ」そのもので、学校側の庇い方、顧問教師の醜い言い訳・言いなおり、ひいてはその部活に直接には関係ない父兄からの「あの先生は熱心で良い人だ」の横槍クレームなどなど、テレビのワイドショーに、無償で題材を提供している「あんな大人になったらダメだよ」のステレオタイプだった。このような事件・事故が起きた時、第3者的立場になったものは「沈黙は金、饒舌は銅」という至言を贈っておく。

どちらにしても、日頃「命を大切に」「生徒の人権を守れ」と声高に主張しているどの口が言うのか、である。「ああいうのを偽善者と言うんだな~」「死んだら人権ないんですね…」と塾生は文句を言ってたが、「実地勉強が大切なのがわかったでしょ」と返すと、うなずいていたのが印象的だった。

今でも、時々報道される運動部関連の指導者が絡む「事故」のニュースを目にし、耳にするたび、20年も前のことなのに、やはりそれでもむかむか感が蘇って、危うく精神的平穏を崩しそうになることがよくある。

まだ続く。