そもそも鬱病とは何か
ある医者によると、「鬱病は脳を使うのに必要な伝達物質(特に幸福感をもたらすドーパミン)が枯渇している状態で、脳の機能が正常に働かなくなる病気」という。
ストレスまみれの世界で生きていて、それでも仕事を頑張り続けると、鬱になる。よく「鬱になってしまって仕事に行けない」のではなくて「ストレスを生むその仕事を続けていたから、鬱になった」が正しいと考えられる。勘違いしそうだが、現皇后様や、某有名女優が患った「適応障害」は、会社に行くと調子が悪くなるとか、嫌いな人と会うと気分が悪くなるなど、特定の出来事や状況がつらくなることを言う。
つまり、鬱病の場合、ストレスを生む環境や状態から離れても、抑うつ状態=どんよりした心理状況が続くが、適応障害の場合、その特定の環境・状況から離れると症状が緩和されて普通に生活が送れる。変な言い方だが、その仕事自体や仕事をすることは嫌いではないのが鬱で、その仕事自体や、その仕事をすることそのものが嫌いなのが適応障害とも言える。
例えば注文を取ってくる営業マンがいる。彼は営業業務は嫌いではない、会社から外に出かけて、人と会って話をしたり聞いたりすることも好きだし、営業がうまく行って契約を取れた時の達成感は何物にも代えられないという人物とする。
彼が鬱になる原因の多くは、「人事評価が適正でない(と本人が思っている場合も含む)」とか「リストラの不安が消えない」とか「年ごとに営業結果をインプットするアプリが更新、あるいは変更されるので、それに慣れるのが大変で、実はそれが苦手」、「職場に苦手な人がいて、その人との付き合いは切れない」などだ。つまり営業業務以外の業務がストレスを生み出し、それが原因で鬱になる。
おまけに、この人は営業マンとしては優秀なので、新規契約や継続契約をたくさん獲得するのだが、結果、営業業務以外の補助仕事を増やしてしまうために、それが苦痛で鬱になってしまう、という悪循環で皮肉なことが起きている。人間のエネルギーには限りがある。
その会社の人事判断が的外れで時代遅れの場合もある。あるいはその営業マン自身が、結果を上司や同僚に報告する時に嫉妬を買わないやり方を知らなかったり、自分の成果を人に適正に判断してもらう時に妙に自己を矮小化しすぎているとかで、非常に損をしている場合など、色々あるだろう。
だから鬱は危険だ
これが学校に通う生徒なら、勉強は得意だが人付き合いが下手である、またはその逆とかで、ストレスを生み出すことで鬱になるかもしれない。もっとも学校の場合は、1年ごとにクラス替えもあるし、担当教師も変わるからそこまで行かないこともある。
だからこそ鬱は危険でもある。その仕事自体や仕事をすることは嫌いでないのだから、ずるずると危ない状態が続き、気が付けば(この言い方も変だが)、おかしくなっている人が多い。その医者によれば、「特に意識高い系で真面目な人ほど危ない。脳ミソを使いすぎて、突然、動かなくなる」そうだ。「燃料枯渇やバッテリー異常が鬱。運転したくない時にアイドリングしているのが適応障害」とも言っていた。
しかしストレスのない環境なんてこの世に存在するのだろうか?そもそもそれが疑問だ。
ストレスが存在することが前提で、ストレスとうまく付き合うことが鬱にならないコツとも言えるし、嫌なことでもある程度やっておくことが適応障害にならないコツだ。
脳内酵素のドーパミンは、やる気や幸福感を生むだけでなく、「幸福に関する」あらゆる多くの生命活動にかかわっている。このドーパミンが、妙な言い方だが、「生成しやすい人」なら、ストレスや不幸感を軽減して、鬱を回避できて、前向きな人生を送れる。
しかしストレスに対する強弱は、遺伝的背景や過去のストレス経験によって左右されると判明している。そして遺伝的にこれらの酵素の力が弱い人は、さらにストレスに弱い。慢性的なストレスになると、回復能力が失われ、鬱病などの不安障害につながる。つまり脳の働きが継続的に委縮してしまう。これは大変まずい。
家庭に問題があるともっと危険
だからこそ、問題が家庭にある場合は、まさに問題だ。家庭や家族からは、まず逃げることができないし、家庭・家族は、その構成員にとっては、まさに遺伝・習慣・性格を生み出す言ってみれば慢性的な源泉だ。そこの機能がうまく行っていないと、鬱病まっしぐらになる。
若者の自殺が増えている。もちろん色々原因はあるだろうが、私はコロナ騒動が最大の原因と考えているし、多くの人が同意している。去年2020年は777人と1986年以来の高水準となった。10代以下の人口は1986年で3495万人⇒2020年で2064万人に減少していることを考えると、深刻すぎる。自殺は極端な事例で、その陰で若者=子供の鬱病罹患数も絶対に増えていると思う。そして鬱「病」まで行かずに、「鬱」状態の子供はもっと増えているのではないか?これは本当にまずいことになっている。
そして、行政や教育の担当者は「事」が起きないと動かない、腰が重い性質がある。露見するまで待っていると若者の死者続出、あるいは鬱状態の悪化がさらに進行する事態が、まだまだ続きそうだ。ぜひ教育行政積極主義で行動していただきたい。
それにしても、こんな事態を招いたメディアと、正しい情報を両論併記で提出すれば十分に制御できたはずなのに、目の前の人気取りに走った政府の、両者の責任は、海より深く、山より高く、シリウスの重力より重い、と日々感じている。