問題には色々な形式があるから

大学入試、高校入試、英検、それよりはスケールが小さいが、高校、中学校の中間期末テストなど、世の試験、資格テストというのは、選択問題、空所補充問題、整序問題、そして筆記問題とが組み合わされて出題される。

ここで話は元に戻る。
スマホやタブレットでは、「書く」テスト、そして同じ書くでも、紙の用紙に書くのであれば、それように全然練習していないと、経験値が上がらないので、いざと言う時、ふにゃふにゃな字を書いたり、カチカチでも人に見せれないような字を書いてしまっては、採点する側が苦労するし、印象も良くない。ましてや、本番の入試の時には答案は返却されないのだから、「字が汚いから、読めないから×」とされても文句は言えない。あるいは、空所補充でも選択番号で答えるのではなく、「正しい形(や漢字)で書きなさい」とか、自筆で書く英作文ではかなり困るだろう。

実際に紙に書きだしてみないと「仕上がり」のイメージがつかない

だからスマホ・タブレットの学習を始めた人は、紙にも書きだして、それを親・保護者に見せて、赤の他人でも読める字かどうか?を点検してもらわないといけない。

次に、タブレット・スマホの勉強では、「~という事件は、その後起きる…の事実とどういう関係があるか」の思考形式+叙述解答の問題には残念ながら全く対応できないだろう。

知識があっても思考まで持っていくのは、かなり大変で時がかかる。現在の普通の中学校や高校のシステム、普通の教師・教員のレベルでは、そこまで恐らく達し得ないだろう。通常の授業をこなすので精いっぱいだろうから。

知識を生かす知識があるか?

知識には二つのタイプがある。一つは物事を知っていること。
もう一つは、それをどこで見つけるかを知っていることである。

と、サミュエル・ジョンソンは言う。私はここにもう一つ付け加えたい。知識を広げる、あるいは知識と知識をつなげる方法を知っていることも知識である、と。

よって、理想は、専門の人を配置することだが、人員は全く足りないので、定年退職した国語や社会の教師さんたちを動員する手が一番有効だろう。それでも問題は予算と人材だ。

スマホ・タブレットで少年期を過ごした大人はまだいない

最後に「実験は始まったばかりだ」ということを忘れてはいけない。この乱文を書くまで、色々なサイトを訪問させてもらい、自分でもスマホ・タブレットを使って学習してみて「便利なものだね~」と感心しながら、はっと気が付いたのだが、感想を述べているのは、すべて「大人」である。彼らは、私も含めて、小中高レベルの勉強や学習は「終わっている」のだ。

つまり「書く練習」「誰かに書いて見せる=褒められたり、恥をかいたり」ということは、山どころか山脈分ぐらいはすでにやっている人たちである。そういう人たちが「いや~これはいいですね~」とスマホ・タブレットを使った学習方法を褒めちぎっても、あまり説得力を感じないのではないか?褒めちぎる人は、何がしかの利益享受があるのでは、と邪推したくなるのが、私の悪い癖だ。

スマホやタブレットの学習を始めた今の児童が、10年後ぐらいに大人になって「これは役に立ちましたよ」と言ってくれれば、保証が付いたことになる。でもそんな人はまだまだいないか、極少数者なのだ。

技術の進歩は素晴らしいものだが、それが常に人に幸せをもたらすとは限らないどころか、適当、あるいは悪い意味での「いい加減」に進化したものだと、それが故障したとき、とんでもない被害をもたらすのは、2011年の原発事故で明らかだ。

ここは従来通りの方法と、新しい方法とを併用する「分進合撃」を採用して、慎重に進めることが、賢い方法だと考えている。