ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

[現代和訳]
川面に紅葉が流れているが、神代にもこんなことは聞いたことない。竜田川一面に紅葉が散って流れる水を鮮やかな紅の色に染めあげるとは、見事なものです。

作者生没年・出典]
「朝臣」とは「朝廷に仕える下臣」の意味だが、「遊んで暮らせる」の意味もある。在原業平は「よく歌を作る」と評されるレベルの高い歌人だ。従五位で中将だったので「在五中将」と呼ばれた。生年は825年で没年は880年。古今集 巻五 秋下 294

[人物紹介と歴史的背景]
前の16番 在原行平の異母弟だから、業平も平城天皇の孫で、阿保親王の息子で、桓武天皇のひ孫になる。やはり12番の僧正遍昭とは親戚だ。歌の才能は遺伝もあるのだろう。

屏風図を見て作った歌

この歌は本当の風景を見て詠ったものではなく、屏風の絵を見て詠ったもの。「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞。「知波夜夫流」「千磐破」、すごいのでは「血速舊」とか「血暴残留」という漢字を万葉集では当てている.神様って怖いんですね。

竜田川は、龍田川とも立田川とも書くが、この川は奈良県生駒郡を流れ、上流には別に生駒川という名前が付いている実在の紅葉の名所だから、彼も実風景を見たことがあるかもしれない。

歌の名手で「伊勢物語」の主人公

在原業平はまさに貴種流離譚のモデルになっている人物で「昔、をとこありけり」で始まる「伊勢物語」の主人公でもある。伊勢物語中では、「かきつばた」という植物を道端に見て、「かきつばた」という五文字を句の頭に置いて旅の心を詠んだ

唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ (古今集 巻九 羈旅 410)

東京の言問橋の由来になった歌もある。

名にしおはば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと (古今集 巻九 羈旅 411)

これらの2首が、有名な歌だ。伊勢物語のおかげか、せいかはわからないが、彼には遊び人とかプレイボーイのイメージが定着している。しかし実は義理堅く、かなり気骨がある人物のようだ。彼は兄の在原行平と協力して、文徳天皇の第1皇子である惟喬親王(これたかしんのう)という人を、天皇にするべく奔走していたが、藤原氏主流の力の前に敗れ、第2皇子だった清和天皇の即位となってしまったのは、17番の行平のところで述べた。

政争に敗れ、小野郷に隠棲した惟喬親王を見捨てず、時折は訪問し、

忘れては 夢かとぞ思ひきや 雪踏み分けて 君を見んとは という歌を残している。

また古今集中で彼の有名な歌の1つが、惟喬親王に従って渚院で詠んだ

世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし

高校古典文法の教科書で『「せば~まし」構文』の説明には欠かせない歌だ。これは55番で紹介予定の大納言公任=藤原公任も絶賛している。

ただの歌の名手ではなく、案外「反骨の人」の面を推測する人もいる

しかし、古今集中でそのすぐ前の歌は、前太政大臣 藤原良房(804年~872年)が詠んだ。

年経れば よはいは老いぬ しかはあれど 花をしみれば 物思ひもなし

この歌は花を自分の娘に喩え、安泰の人生を自分で寿いでいるのだが、子孫の道長が詠った「この世をば~」の歌の原形だろうと私は考えている。しかし、ここで深読みをする人もたくさんいる。

藤原良房は、清和天皇の母方の祖父であり、前天皇 文徳天皇の義理の父親であり、前々天皇である仁明天皇の義理の兄でもある。さらには清和天皇の皇太子には、兄の娘を嫁がせている。まさに天皇に絡みつく「藤の木」のように宮中に食い込んで、実権を握った人物で、彼は在原一族にとっては「不倶戴天の敵」だ。

清和天皇と天皇位を争った惟喬親王の命は、さすがに奪わなかったが、彼の側近だった人物はすべて追放するという陰険な手段を使って、惟喬親王を政治的に葬った人物でもある。追放された側近の筆頭が、012番で紹介した僧正遍昭こと良岑宗貞だ。

この皇太子位争いは、彼が出家して「僧正遍照」になるきっかけでもある。

藤原氏批判をやめなかった?

さらに後の世になると「この歌を真似るのはダメ! 冒涜にあたる!」とまで言われた「伊勢物語 第4段」のこの歌。

月やあらぬ 春や昔の春やならぬ わが身ひとつは もとの身にして

さきほどの「世の中に~」の2首とも、季節の「春」を詠っているものと、普通は受け取られている。しかし、良房が誇っている「花=桜」がこの世に=この宮中になければ、春 (春宮[これでも「とうぐう」と読む]=東宮=皇太子になっていた惟喬新王) の心はのどかなものになるのになあ、と詠んだのが最初の「世の中に~」の真意で、次の「月やあらぬ~」は、春が昔の春になっていないのは「月」を取られたからだ、と解釈したらどうか? と言う人も最近多くなっている。

こう受け取ると、時の権力者に真っ向から「言霊=言論」で対抗したのが在原業平になるわけだ。確かにプレイボーイの面は否定できないが、その内面に関しては、人物像に修正をはかった方がいいかもしれない。